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利益は誰のために 第15回、P.F.ドラッカー:マネジメント。

マネジメント1
利益は誰のために 第0回
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第15回


(だんだん、このあたりから生産の中身について
書かれていますが、個人的に興味がないところが多いので
飛ばして書いていきます。)


第17章 仕事を生産的なものにする


前回、仕事を生産的にするために、
分析、統合、管理がありました。
これに、ツールを合わせて、4つ必要と書かれています。

『仕事を生産的なものにするには、
さらに基本的なことが一つある。
成果すなわち仕事のアウトプットから考えることである。
スキルや知識など仕事へのインプットから
スタートしてはならない。』
(マネジメント上 P253)

アウトプットから逆算して考える。

結局、自分の定義や使命から始まって
目標などを決め、
それを達成するためには、
どうしたらいいか。
そこから、仕事のアウトプットを考える。

外側から少しずつ内側へ向かっているような
感じでしょうか。


仕事の分析


仕事の分析は、製品とプロセスの設計段階から
スタートしなければならないそうです。
最終製品の仕様は、ユーザーのニーズと価値観によって
決まると言います。


第18章 仕事を生産的なものにする


『仕事のプロセスを管理することは、
仕事を管理するということであって
働く人を管理することではない。
管理とは、人の道具(ツール)であって
人の主人となるべきものではない。
しかも、それは働くことの妨げとなってはならない。』
(マネジメント上 P267)

これって、大事なことだと思います。
人を管理しがちです。
仕事のために管理するのか、
自分のポジションを守るためや
自分の心を満たすために人を管理するのか。

ボスとリーダーの比較が
ネット記事にときどき出てきますけれど、
そういったことにも関係していそうです。

ただ、これは文化など価値観にも
大きく左右されるところです。
このはっきりとした割り切りは、
アメリカならでは、と言えるかもしれません。


『管理は、仕事の成果からフィードバックによって
行わなければならない。
仕事自身が管理のための情報を提供するようにしておく。』
(マネジメント上 P269)

PDCAのCAの部分ですね。


定型と例外


『プロセス管理とは、平均的な能力の者が、
卓越した者並みの仕事ができるようにするものである。』
(マネジメント上 P270)

飛びぬけた能力を持ったものや、
天才、と言われる人たちの真似を
してはいけないようです。

そうでない人たちが仕事をできるような
環境を作らなければなりません。

天才の手法で環境を整えても
それを実行できるのは、天才のみです。


『プロフェッショナルとは、基本的に
一人で働く者である。
特別の状況を扱う者である。』
(マネジメント上 P274)

そうしますと、プロフェッショナルたちは
孤独を感じたりしているのでしょうか。
社長なんかは孤独といいます。

やはり、メンターのような存在は必要のようです。
(※メンター:指導者、助言者、理解者)


ツールの役割


『ツールとは、仕事と働くこととを
橋渡しするものであるということである。
ツールは仕事のためのものである。
同時に働くことのためのものである。』
(マネジメント上 P277)

ツールというのは、
ツールでしかありません。

仕事のため、働くことのため、と書かれていますが、
ツールのためではありません。
けれど、ツールというのは便利なもので、
ついつい、ツールに引き寄せられてしまいます。

けれど、ツールはツールでしかありません。
(数字というは、はっきりとさせますから、
便利であると同時に、ちょっと怖くも感じます)

ツールは使うものであって、
使われるものではありません。
(これはどんなことにもいえますが、
使ってみなければ、そのツールがどんな機能があって
効果があり、影響があり、メリット、デメリットがあるのか、
わかりません。)


『発明家エディソンは、体系的な方法によって、
発明の仕事を生産的なものとした。
彼は常に、欲する製品を定義することからスタートした。
次に発明のプロセスをいくつかに分解し、
それらを相互関係と位置を明らかにした。
プロセスの段階ごとに管理手段を設定した。

エディソンは創作的なひらめきが特に豊かだったわけではない。
しかし彼は、創造性に方法論を与えた。
彼の方法論の正しさは、
さして創造性に優れていなかった彼の助手の多くが、
その後発明家として成功したことで明らかだった。』
(マネジメント上 P283)

感覚的にやっていたことでも
体系的にすることはできるのでしょう。
(全てとはいいませんけれど)
自分のやっていることを体系的にでき、
それを他者が理解しやすい形で提示するというのは
これはこれで、別の能力が必要でしょう。


第19章 働く人と働くことのマネジメント


ここでは、X理論とY理論というのが出てきます。
これは、ダグラス・マグレガー著「企業の人間的側面」
で紹介されているようです。

X理論というのは、どうやら、
人は怠惰(たいだ)で、仕事を嫌う。

Y理論というのは、
仕事を通じて自己実現と責任を欲する。

数千年前で言えば、
X理論社会は、スパルタ、
Y理論社会は、アテネ、だそうです。

X理論は未熟な存在とし、アメとムチで働かす。
Y理論は成熟を欲するとし、自ら考え動く、と分けるようです。


マズローの批判


アブラハム・マズローはこのY理論を支持しつつも
批判したそうです。

Y理論が要求する自律と責任に耐えられない弱者はいるし、
保護する必要がある、と言います。

ドラッカーの見解としては、
今日、X理論とY理論は
いずれも正しい定義ではないのは明らか、としています。

どちらもあるけれど、それは状況によって変わるからで、
環境によって、X理論になったり、Y理論になるからだそうです。
異なる状況では異なる反応をする。
それが人のようです。

この理論で、昔書いた感想文を思い出しました。
フランクルの時のことです。


(以下、過去の感想文より)

『「幸福」という言葉を
「自己実現」という言葉に
置き換えても、
ほぼ同じことが言えます。
現代社会に生きる私たちは、
「どうすれば自分らしく
生きられるだろう」
「どうすれば自分の個性を
発揮できるだろう」と、
自分らしい生き方(自己実現)を
必死で追い求めている
ところがあります。

~もちろん、
「自分らしく生きること」は
けっして悪いことではありません。
しかし、自己実現の追及は、
幸福の追求に似て、
きりがないのです。
どこまで行っても、
けっして満足することは
ありません。
「永遠の欲求不満の状態」に
陥ってしまいます。

~フランクルは、
「自分の幸福」を追い求める
「自己中心の生き方」から、
「人生からの呼びかけ」に
応えていく
「意味と使命中心の生き方」へと、
生き方を転換することを
求めました。
幸福も自己実現も、
その結果、
おのずと生じてくるものだと
考えたのです。』
(NHKテキスト フランクル夜と霧 P56-57)

(以上、過去の感想文より)


自己実現しようとするとき、
こういった一面もあるということです。

こうやって比較してみると面白いものです。
ドラッカーもフランクルも
意味や使命というものを使い、
一方では、経営するうえでの方向性を、
一方では、生き方の方向性を決めているところは同じですが、
それが自己実現するため、と言うのと、
それは追及するものではなく、
反応していれば、後からついてくるもの、
と言っているのです。

ドラッカーの考えは、比較的強い人向きで
フランクルの考えは、比較的弱っている人向きです。

あるいは、働くこととしての考えか、個人のための考えか。
私はフランクル向きでしょうか。

フランクルは、
フロイト、アドラー、どちらにも所属していた経緯があって、
どちらの考え方も入っているし、
どちらの考え方とも合わないところがあるようです。

私は、それぞれが自分の心にあった方法で
やればいいだけの話だと思っています。


今、フランクルを書いていた内容を読み返してみますと、
ずいぶんと考え方や感じ方が変化しています。
今、感じたり、考えていることを書くのは、
それは今しか書けないことだからで、
それを残しておく意味もあります。

フランクルのときは、フランクルに影響され、
ドラッカーのときは、ドラッカーに影響されているようです。
その時の自分を書いておいてよかった、と思っています。

ここで、ちょっとフランクルをみてみます。
以下はフランクルで書いた感想です。


(以下、過去の感想文より)

『「人生」は、
「人間の欲求や願望」
を実現する舞台のように
とらえています。
そのため人は
「欲望や願望中心の生き方」を
するようになり、
その結果
「絶えざる欲求不満の状態」に
追い込まれてしまうのです。』
(NHKテキスト フランクル夜と霧 P45)

利己的な欲は
より大きな欲を生み出します。
限りがありません。
欲の器がどんどんと
大きなって
欲求不満に陥ります。
満たそうと思っても
満たされず、
欲の器は大きくなるばかりだからです。

私は欲そのものを
否定するわけでは
ありませんが、
利己的な欲は
いつか飽きがきます。
満たされない感覚を
客観的に見たときに
がっかりします。

ときどきならば
いいのかもしれませんけれど、
それが他に大きく迷惑をかけたり、
相手の自由や人権を侵害したりするのは
寂しい心で残念に感じます。

そこまでして
満たさなければ
ならないものなのでしょうか。

それよりも
自分以外の
何か大切なもののために行動する、
そういったものに愛を注ぐ。
そういったことをするほうが
心は良好な状態になるのでは
ないでしょうか。



『まずは、
目の前のことを
夢中でやってみる。
そうしていないと、
いつか出会えるはずの
「天職」と
めぐりあえる機会は
永遠にやってこないでしょう。』
(NHKテキスト フランクル夜と霧 P62)



成長や変化しようとしているから
苦悩がある、
ということのようです。

苦悩に意味があるということは、
人生において
過程にも意味がある、
と捉えることができます。
そちらのほうが
生きがいもあるし、
より豊かに感じられます。

たとえば、
目標を山頂とするならば、
山登りの楽しさは
どこにあるのでしょうか。
山頂に到達することだけが
目標でしょうか。
ならば、
ヘリコプターで
直接行けるならば
行ってしまえばいいのでは
ないでしょうか。
けれど、そうではないでしょう。
直接登るからいいのでしょう。



『「何かのための苦悩」であり
「誰かのための苦悩」であること、
これが苦悩の本質です。

~ドストエフスキーも、
苦悩に関して次のような
印象的な言葉を残しています。
「私は私の苦悩に
ふさわしくなくなる
ということだけを恐れた」』
(NHKテキスト フランクル夜と霧P85)

自分のためではなく、
何かのため、誰かのための苦悩。
世間からに対する評価の苦悩ではない、
ということのようです。

(以上、過去の感想文より)


フランクルの本、読んでいてよかった、
と思いました。


このことは、ドラッカーの感想の前置きとして書いていますが、
組織というものには、残念ながらあまり興味はありません。
個人よりも組織にできることは大きいことは理解しますが、
やはり、私自身、そこまで興味が持てるものではありません。
これは、個人的なことで、社会の仕組みとしては必要なことです。

私は商人向きでもないし、経営者向きでもありません。
もし、そこまで対応できる人間であるならば、
このような感想を書く、ということはしなかったでしょう。
不器用ゆえに、わかること、見えること、があるのです。

つづく。


【出典・参考】
マネジメント[上]
マネジメント[中]
マネジメント[下]
著:P.F.ドラッカー
訳:上田惇夫(うえだあつお)
ダイヤモンド社


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