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流鏑馬と山車、盛岡市八幡町、盛岡町名由来:八幡町・片原。

8月のお盆。
曇り空の日。

この日は盛岡町名由来を巡る。
八幡町へ。


IMGP8345.jpg
盛岡八幡宮の入口。
ローソンの向かいに町名由来がある。


IMGP8344.jpg
八幡町、片原

・盛岡城が竣工された慶長四年(1599)に、神社、仏閣を設け、民心の安定と信仰の中心にした。
・八幡宮、寛文十一年(1671)から整地。
・延宝八年(1680)社殿完成。
・そのときに八幡町誕生。
・庶民の参拝を許したので、人がたくさん集まり、お祭りが行われた。
・流鏑馬(やぶさめ)も行われ、今につづいている。
・一日、三日、八日、十一日、十三日、十六日に市日を立てて、他町の市日を禁じた。
・八幡片原は、築城以前の旧道。
・中津川牛越場から片原を通り、梁川を渡り、蝶が森に通う道筋。
・八幡宮祭典には山車(だし)が勢ぞろいして壮観だった。

流鏑馬は
盛岡の秋祭りでもある八幡宮例大祭が13日~16日にあり、
流鏑馬は9月16日に行われる。
いつもニュースで流れる。

以下、盛岡八幡宮のウェブサイトより

神事流鏑馬(9月16日)
南部第13代守行公が応永25年(1418)、三戸にいた頃、
櫛引八幡宮へ天下泰平・国家安穏・南部保全・子孫繁栄を祈願して行ったのがはじまりです。
当宮では、延宝9年(1681)から明治40年(1907)頃まで続き、昭和25年(1950)、再び復活しました。
良馬にまたがった射手奉行(いてぶぎょう)が3本ずつの矢を三度放って、
その命中率を競うものです。五穀豊饒、国家の安泰、氏子たちの家内安全を祈願する祭典です。
延宝9年(1681)、八幡宮初の神事流鏑馬では、総指揮官ともいえる総奉行には佐藤甚之丞が務めました。
このときの成績は矢の数27本の内、はずれた矢は2本だけでした。
当日は藩主、奥方、若殿、姫君、藩の重役たちが見学し、
町内の人々も土手の上の見物席から見学したということです。
(出典:盛岡八幡宮-神事流鏑馬より

八幡町の市日に関しては
上記の日にちは八幡町以外は市日をしてはならない、となっているけれど、
他町で上記の日にちに市日を開いているところがあるので、
禁止されたのは最初だけで、時がたつにつれ、
禁止されなくなったのかもしれない。

八幡片原の旧道については
城下盛岡旧町名探究地図とにらめっこして
どの道か探したけれどよくわからず。

中津川牛越場とは、
富士見橋と上の橋の間の中津川のところらしい。
そこから八幡片原へ通じ、
さらに梁川を渡り、蝶が森へ。
蝶が森は盛岡市東安庭にあるので、
梁川を渡るとは、梁川橋のことだろうか。
南大橋の近くに梁川橋がある。
梁川には梁川橋のほかに
葛西橋(盛岡市中野と東中野をつなぐ)
が近くにあるけれど、
こちらかもしれない。

そういえば、盛岡の秋祭りにまったくいっていない。
日にちが指定されているので
平日に行われる場合が多いため、
なかなか行けない。
今年は週末に盛岡秋祭りがあたるので、
行けるかもしれない。
ひさしぶりに山車が移動するときの掛け声、
ヤーレヤーレヤーレヤーレーが聞けるかもしれない。
豪華な山車だけれども、動きがあるの夏祭りとは違って
動きのあまりないゆったりとした秋祭り。

この記事を書いていたら気持ちは秋になっていた。
盛岡の短い夏も終わろうとしている。


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岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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