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上小路は組町であり盛岡の洋学発祥の場所、盛岡市茶畑、盛岡町名由来:上小路。

7月のある日。
もりしげでお腹いっぱいになった日。



IMGP8136.jpg
茶畑を目指す。
あのレンガ造りの煙突が気になった。
河南中の横。

最近、児童文学で黒い兄弟(著:リザ・テツナー)を久しぶりに読んだあとなので
なんとも、感慨深い気持ちになる。
前回の記事でも書いたけれど、
1870年あたりのスイス・イタリアを舞台とした
人買いによってミラノに売られた少年たちが
煙突掃除夫として働く物語。
ジョルジョたちはあのような煙突(人が入れるくらいだから、実際にはもっと大きかったかも)に入り、
煙突の中のすすを全身真っ黒になりながら落としていたに違いない。
1リラとかでね。
あの過酷な環境で生きた子どもたちを思い出してしまった。



IMGP8163.jpg
この煙突は銭湯であった。
お店の前に薪がたくさん置いてあったし、
向かいの建物にも薪やらオガクズがあった。
銭湯にはコインランドリーがあって、
昔、学生のころ、下宿をしていた時期があって
よくコインランドリーに洗濯ものを持ってきては洗っていたのを思い出す。
今も薪を使ってお湯を沸かすなんて、盛岡ではあまり見かけない。



IMGP8160.jpg
ブラブラと歩く。
町名由来がこのあたりにひとつある。



IMGP8161.jpg
シルバーの車と電柱の間に。



IMGP8162.jpg
上小路(うわこうじ)

・東中野村の枝村(えだむら)で、上小路村だった。
・この道は、南部氏が盛岡に城を築く以前からの古い街道。
・新穀町の惣門→鉈屋町→上小路→東海岸へ抜ける宮古街道が出来ると、上小路組町となる。
・上小路組町から東のほうは茶屋などの街並み、上小路町とよばれた。
・上小路町の東のはずれ、梁川春木場があった。
・上小路の東のほうにある新山館には、幕末のころ洋学校建てられる。
・洋学校は日進堂と名付けられた。
・近代製鉄業の先駆者大島高仁(たかとう)、西洋医学者八角高遠(やすみたかとう)が学校の総督。
・採鉱、精錬、砲術、医学などの研究、教育を行ったところ。
・南部藩における洋学発祥の地。

うわこうじと読むことを初めて知る。
組町がこんなところに。
仙北、上田、下小路、そして上小路。
ここにも足軽同心が住んでいたに違いない。

この町名由来があるところの道は宮古街道とよばれ、
十六羅漢とあさ開の間を進み、直角に曲がって
永泉寺の前を通って、大慈寺地区コミュニティ消防センターのあるところにぶつかる。

洋学校の日進堂が建てられたという新山館は
盛岡市高崩。
といってもわからないと思うけれど、
南大橋のたもとに岩手自動車学校があるけれど、
そこを盛岡市高崩という。
旧名での高崩は自動車学校のところだけでなく、
茶畑二丁目も高崩とよんだ。
河南中も昔の地名は高崩ということになる。
どうやら、日進堂碑が高崩にあるらしいけれど、
まだ確認はしていない。

日進堂の創立者、八角高遠(やすみたかとう)は盛岡市若園町出身。
京都での蘭学医学新宮涼庭が運営する順正書院に入門。
9年間滞在したのに、盛岡へ。
藩医となり、藩校明義堂の医学助教に任命されるも
蘭学が受け入れられず、2カ月で免職。
それでも藩主利剛は八角を医師として使った。
種痘普及などの医療活動を高く評価された。
(出典・参考:盛岡市-八角高遠

上小路にこんな歴史があったとは
知らなかった。
盛岡の洋学発祥の地であったとは。

勉強になりました。


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