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城下で一番繁盛した町と馬を扱う町、盛岡市南大通・清水町、盛岡町名由来:穀町・新穀町・馬町。

6月のチャグチャグ馬コのあった
雨降りの日。

チャグチャグ馬コが来るまでの間、
南大通や清水町をウロウロしてみた。
確か町名由来があったはず。



IMGP7924.jpg
まずは東北銀行南大通支店。
ここにひとつ。



IMGP7925.jpg
穀町・新穀町

・穀町と新穀町は惣門を中心にした町。
・文化九年(1812)、二つの町に分かれた。
(穀町と新穀町に、ということだと思う。)
・両町(穀町・新穀町)と川原町には豪商が多く、糸治、木津屋、泉屋。
・盛岡城下では、最も繁盛した地域。
・穀町は、古くは三日町。
・年の暮十二月の九、十九、二十九日の三日、新山河岸(しんざんかし)の御蔵の米を払い下げた。
・惣門には、枡形と御番所、役人屋敷二十四戸、出入りを調べた。
・門は朝六時に開け、夕六時に閉じた。
・穀町には旅館が多かった。
・時を告げる大鐘は、十三日町の小高い堀端にあった。
・大清水小路から穀町にぬける道は、会所場横町。
・牢屋、処刑も行われていた。
・明治、桜の馬場(下橋中)に移り監獄となった。

新穀町と言われるところは、木津屋などがあるあたりで、
川原町とは新穀町の隣、明治橋側付近(南大通り側)の東側、
穀町は奥州街道沿いで新穀町から六日町へ抜ける道。
ここで言う、奥州街道は旧街道のことで
木津屋から岩手銀行惣門支店前の交差点をまっすぐ、北西へまっすぐ行くと、
ゆうきやのあるT字路にぶつかるけれど、
こちらが旧街道のようで、
この道沿いが穀町。

御蔵とは明治橋から北上沿いに西へ、ユニバースに行く途中にあって、
下町資料館となっているようだ。
その川岸が新山河岸。

惣門は、木津屋の近くにある。
十三日町は、穀町の北隣の北隣。
穀町、馬町、十三日町となっている。



IMGP7930.jpg
お次は清水町の馬町会館前にある。



IMGP7928.jpg
馬頭観世音、でしょうか。
馬頭観音とも。

ウィキペディアによると
梵名のハヤグリーヴァ(音写:何耶掲梨婆)は「馬の首」の意である。
これはヒンドゥー教では最高神ヴィシュヌの異名でもあり、
馬頭観音の成立におけるその影響が指摘されている。
他にも「馬頭観音菩薩」、「馬頭観世音菩薩」、「馬頭明王」など様々な呼称がある。
衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する菩薩である。
(出典:馬頭観音より)



IMGP7927.jpg
馬町

・馬を売買する場所(宝永七年、1710)。
・下北(青森)からも来て、馬の売買は全て馬町で行われた。
・明治二十三年(1890)、産馬組合ができると、馬検場が生まれた。
・駄馬、輓馬、農耕馬は三十円~三十五円、軍馬百円。
・大正元年(1912)に馬検場は新馬町(松尾町)に移った。

名前の通り、馬を扱う町だった。
盛岡は昔から馬とのつながりがあるようだ。

目的を果たすと、
肴町へ戻り、チャグチャグ馬コを見ることにした。


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