スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

下小路は長かった、盛岡市山岸・愛宕町、盛岡町名由来:山岸町・御弓町・下小路。

6月の山岸小で保存樹木を見た日。

山岸小からバイパスに出る道には
町名由来の表示板が二つある。



IMGP7885.jpg
ひとつは岩手銀行山岸支店前。



IMGP7887.jpg
山岸町、御弓町

山岸町
・下小路東に二丁ばかり。
・山岸真綿の産地で養蚕業が盛んだった。
・安政五年(1857)蚕供養塔を建立。
・武家屋敷町に隣接し、野田街道筋「塩の道」の町人の町。
・宝珠盛岡山永福寺は城北の鬼門に当たる祈願寺。
・杉並木路は当時の参道で、下馬通りとも言った。
御弓町
・山岸町東隣で、四丁(約430メートル)ばかりの町並み。
・寛文九年(1669)、五駄二人扶持(ぶち)で新規召し抱えられた
 御持弓組の足軽同心の組町。
・盛岡城下の北東部の前進警護の関門。

永福寺は山岸駅近く。住所は下米内。
御弓町はこのあたりから踏切あたりの街並みのことなのかもしれない。
足軽同心の組町ということは
上田組町とか仙北組町とか
そういったところと同じ役割ということだと思われる。

五駄二人扶持というのは、
「一駄」というのが
一頭の馬が振り分け荷物として背負うことができる俵らしく、
一駄は二俵らしい。
ということは10俵。
「一人扶持」というのが一人が
一日に五合の米を食すとした場合の年間の米の量で五俵。
つまり、10俵。
合わせて20俵ということか。
たぶん、楽な生活ではなかったのかもしれない。



IMGP7890.jpg
中央公民館前にもある。



IMGP7889.jpg
下小路
・油町と山岸町を結ぶ一本の長い屋敷町。
・中下級諸士屋敷。文化三年(1806)、東側32軒、西側37軒。
・御薬園(現:中央公民館の庭園)は南部第三十二代利幹(としもと)のときに
 御殿、御茶屋、能舞台などを設けて下屋敷。
・第三十三代利視(としみ)の時代に林泉、奇石、珍木をあつめて庭園。
・明治維新の際、取り壊し。
・明治四十一年(1908)に南部家別邸新築。

下小路は実に長く、
中央公民館あたりから上の橋近くまでの中津川沿いの町。
下小路というと
下小路中なんかを思い出すけれど、
中央公民館あたりも下小路だった。

ちなみに、
下小路中は下小路ではなく
田畑(たっばたけ)という地名だったようだ。
けれど、昔の地名が学校の名前に使われているというのは
いいですね。



グーグルマップ:籠り部屋からの拾い価値
検索フォーム
カテゴリリスト

各アイコンの説明。

カテゴリオープン
カテゴリクローズ
個別カテゴリ
全カテゴリオープン
全カテゴリクローズ

  • plus
  • minus
プロフィール

ウシポニ

Author:ウシポニ

岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

お知らせ、メモなど
  • 感想文の更新は終了いたしました。ブログの更新も2016年6月をもって終了いたしました。今後の更新はございません。今までありがとうございました。
最新記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。