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三戸商人と足軽たち、盛岡市本町通・上田、盛岡町名由来:三戸町・上田三小路。

4月月末。
桜が咲いたり咲かなかったり。



IMGP6942.jpg
本町通の岩手医大アパート前。
ここに町名由来がある。



IMGP6941.jpg
三戸町

・盛岡城造営開始 慶長二年(1597)。
 町割着手    慶長四年(1599)。
 三戸城下を新地に移住 元和三年(1617)。
・最初の町人町のひとつ。
・もと大四ツ家の地域であったが、水田地帯の中に造成された町に移された。
 →「田町」とも言われた。
・11日、21日は市日。
・延宝(1680)鐘楼が建立された記録あり。
 盛岡城天守閣屋上の鯱(シャチ)を鋳造した小泉五郎七作。

三戸町はその名前の通り、
三戸の人々の町のようだ。
三戸商人の町。


IMGP6984.jpg
もうひとつ。
岩手大学農学部通用門前通。
桜がきれいなこの道。



IMGP6983.jpg
上田三小路

・上田小路、与力小路、上田新小路の三地域。
・上田小路は門前町と言っていた。
・上田地区は高台で、足軽町であった梨木町からさしかかるところに坂。
 →高源寺坂、からかい坂。
・与力小路は元和元年(1615)の屋敷割で足軽町。
・上田新小路は、嘉永五年(1859)に、諸士屋敷が不足を補うための町。
・学校構内(高等農林学校→岩大農学部)に残る樹木等は、当時の庭園のたたずまい。

北から
上田新小路、上田与力小路(与力小路)、上田門前小路(上田小路)。
その南には上田横小路というのもあるようだ。

高源寺坂は、梨木町の踏切ちかくにある坂。



IMGP6950.jpg
岩大農学部内の敷地には
上田新小路跡がある。



IMGP6951.jpg
啄木の妻、堀合節子は
明治19年に上田新小路十一番地で生まれました。



IMGP7042.jpg
ちなみに
プラザおでっての観光文化情報プラザでは、



IMGP7105.jpg
城下盛岡旧町名探究地図が売られている。
100円。

kazさん(ブログ:洋蘭を楽しむ北国の家ができるまで)に
この地図のことを教えていただきました。
ありがとうございました。


IMGP7106.jpg
盛岡の旧町名の名前と
その場所がのっていて
しかも、町名のブロックごとに色分けがされていて
これは便利。
町名由来にはない町名や小路がしっかりとのっている。
100円というお手軽価格もいい。
興味のあるかたはどうぞ。



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