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京都の影響を受けた町、盛岡市本町通、盛岡町名由来:本町かいわい。

4月のある日。
今年は盛岡町名由来を全部まわる。
ということで場所を確認して向かったけれど
今回は道端からはっきりと見える場所にあるわけではなく、
場所を知っていないと
なかなか見ることはないかもしれない。
それは駐車場にある。


IMGP6808.jpg
本町かいわい

・奥州街道の一部。
・昔は京都方面から下ってきた商人が多く住んでいたので京町と呼ばれていた。
・文化年間(1804-1817)に本町と改名。
・日野屋市兵衛、大和屋茂右衛門、高田屋伊助、岩井屋権助、鍵屋伊兵衛など。
(高田屋伊助は茣蓙(ござ)屋みたい。)
・本町に西は八日町、北裏には油町、大工町。
・油町には、油屋や荒物屋や牛馬宿。
(荒物屋:雑貨屋。)
・大工町は、大工職が住み、大工小頭がいた。
・北山の寺院地区に通ずる道筋、寺町。文化年間に花屋町。
・本町は昔から商業地区。

ここにも京・近江商人たちが。
盛岡と京都・関西はつながっているのですね。

ちなみに
南部杜氏が岩手に出来たのも近江商人・村井権兵衛(のち小野権右衛門,屋号鍵屋権右衛門)が
大阪から杜氏を呼び寄せて紫波で作り始めたのが始まりで、
江戸に出荷していたようだ。
しかし、なんでまた盛岡だったのだろう。

調べてみると
流通の重要ルートで、砂金、紫紺、良馬の産地らしい。
京都や青森、秋田から来た人たちが
それぞれ移住してきたことによって生まれた町もあるようだ。

京都の影響を受けた地域なんですね、盛岡は。

ウィキペディアをのぞいてみると
「五の字割」と呼ばれる複雑に入り組んだ町割りで外敵を防ぎ、
武家屋敷を「小路」、町人街を「町」と表記した盛岡は、
総じて軍事よりも宗教的安定を求めた設計であった。
(ウィキペディア-盛岡藩より)
だそうです。
小路は武家屋敷だったんですね。


IMGP6809.jpg
もりしんの駐車場より。


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