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侍でも身分が下のほうの人たちが住んでいたみたい、盛岡市中央通、盛岡町名由来:平山小路・帷子小路・新山小路。

4月の少し遠回りしながら
ブラブラした日。


IMGP6800.jpg
町内会の名前が
仁王三小路会。
こんなところにも盛岡の歴史跡が。


IMGP6801.jpg
商業ビルや住宅街の混ざった地域に
開けた場所があった。
中央児童公園。
たしか、月が丘児童公園にも
手すりのついた山のようなものがあった。

公園内に子供たちの自転車が何台もあって
たぶん、みんなで遊んでいるんだろうなぁ、と
昔の自分を少し思いだしてしまった。
小学生の低・中学年は
部屋の中で遊ぶものが今よりも豊富ではなく、
(といってもファミコン全盛期ですけれど)
地域のみんなで外でよく遊んでいた。
小1から小6までと幅広く、
一人で遊んでいることよりも
みんなで遊んだ記憶のほうが覚えている。
缶けりが一番面白かったな。
缶さえあれば遊べますから。

帽子と防寒着を交換し、他人になり変わり
缶を蹴りに行くという技なんかもやったり・・・。
(簡単に説明すると、鬼に名前呼ばれて缶踏まれたらアウトなので)

ちなみに、
小学校内で流行ったのは
手つなぎ鬼というもので
鬼ごっこの発展系。
うちらの地域のルールは
鬼につかまったものは鬼と手をつないで追いかける。
ここは基本的に同じ。
4人になったら2:2に分かれて追いかける。
鬼がどんどんと多くなる鬼ごっこだけれども
流行した理由。

男の子は必ず女の子を捕まえなければならず、
女の子は必ず男の子を捕まえなければならない。
鬼が2:2で分裂するときは
男女ペアになる。

ニヤニヤ。

しかも、これを授業でやっていた。
授業で手つなぎ鬼をやらなければならない、という
理由があるわけでして。

誰だよ、こんな甘酸っぱい設定考えた人は。

しまった。
本題へ。


IMGP6802.jpg
平山小路、帷子小路、新山小路(ひらやま、かたびら、しんざん)

・寛永の地図では畑。元禄以降に造られたものと思われる。(寛永:1624年-1645年 元禄:1688年-1703年)
・大沼に面した湿潤の地。北上川切り替えで耕地に変わった。
・新山小路は南部二十七代利直公の建立した「新山堂」と称する岩鷲山大権現の遥拝所あった。
(遥拝(ようはい):遠くへだたった所から拝むこと。)
(岩鷲山大権現:岩手山神社。岩手山神社って雫石・滝沢など複数あるらしい。)
・平山小路は平山伝右衛門の名前。たぶん、平山さんの場所を町割したため。
・帷子小路は帷子多左衛門善慶の名前。たぶん、帷子さんの場所を町割したため。
(町割:たぶん、イメージは宅地分譲のような感じ?だと思う。)
・この三小路に住んだ侍は五十石内外の知行(ちぎょう)。
(知行:所領支配権を意味。
1石は2俵半で150kg。というとこは、50石は125俵7500kg。
ただ、そのうちの何割かは農民の取り分。残りが年貢でこれが侍の取り分。
四公六民だと、4割侍、6割農民となるようで、地域によって違う。
50石取りの身分は、たぶん下のほうだと思われる。)

このあたりは、
仁王小路の侍の二男、三男が住んでいたらしい。
侍町でも
仁王小路とこのあたりでは身分が違いそうだ。

啄木新婚の家も侍屋敷のひとつとのこと。
いつか行ってみよう。


IMGP6804.jpg
ブラブラと目的地へ向かうのであった。


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