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北を守る足軽が住んでいた町、盛岡市上田、盛岡町名由来:上田組町。

1月のNAGASAWA COFFEEへ行った日。

その近くに町名由来があった。


IMGP6331.jpg
上田組町(うえだくみちょう)
・藩政時代、「上田通り」三十一村のうちに組み込まれ、上田通り代官所の所管下にあった。
・奥州街道に接続する主要な幹線道路筋。
・町内には五人の組頭のもとに各組三十人ずつ、総勢百五十人の足軽を配置。
・道路両側には、かやぶき屋根の足軽屋敷、屋敷境はひば垣。(ヒバという木の種類の生垣。)
・寛保二年(1742)、足軽を同心→「御同心丁」とも言った。
(同心:下級役人。庶務・警察などの公務をする。)

上田通りとは
NAGASAWA COFFEEの前の真っすぐの道のことなんだろう。
県立中央病院から4号線や46号線の国道へ伸びる道。
大きな道路でないのに真っすぐな道というのも盛岡ではめずらしい。

このあたりには足軽が住んでいたのか。
盛岡北方の警備といったところだと思う。

仙北にも仙北組町というバス停なんかがあるけれど
そのあたりも上田組町と同じような意味合いであったのだろう。

盛岡の北を守っていた町。
上田はそういったところのようです。


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