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利益は誰のために 第12回、P.F.ドラッカー:マネジメント。

マネジメント1
利益は誰のために 第0回
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【第9回】【第10回】【第11回】

第12回

第11章 多元社会の到来

ここからは、公的サービス機関について
書かれています。


企業内サービス部門


『サービス機関は、
政府機関や病院のような公的サービス機関であれ、
企業内サービス部門であれ、
すべて他の経済活動が生み出す余剰によって
コストが賄われている。
それらは、間接費、
すなわち社会的間接費あるいは
企業内間接費によって賄われている。
ということは、企業はこの100年間、
経済的余剰を生み出すという責務を
立派に果たしてきたということである。』
(マネジメント上 P166)

つまり、経済活動をして生まれた利益が
間接費を賄ってきた。
利益を出す、という行為によって
賄われてきた。
貢献し結果を出している、ということのようです。

間接部門というのは、
効率化であったり、
資源をより有効的に集中するための
サポート部門であったりするわけです。

仕事が多くなれば、
本来すべき業務といっしょに付随業務が発生し、
それらが直接的な利益に結びつかないわけで
それらを一か所で引き受けることで
本来の業務に集中させる。
そのためのサポートが間接部門です。

公的サービス機関こそ、
先進社会の価値観を体現する存在、
と書かれています。

経済的に豊かでなければ、
それらの公的サービス機関を維持できないからです。

ただし、その公的サービス機関や
企業内サービス部門の成果は、
納得できるレベルに達していないようです。

本書は1970年代の話ですけれど、
郵便、鉄道は補助金を受けつつ、
膨大な赤字にあえぎ、サービスは劣化。
行政組織、地方自治体は、官僚主義への不満。

予算獲得や資料の生産においては優秀だけれども、
何に貢献しているかは疑問。
その仕事を測定し、評価する方法がない、
と書かれています。

われわれはまだ、公的サービス機関に
通用する理論を構築するにはいたっていない、
と書かれています。

現在は構築されたのでしょうか。
それとも、やはり、よくわからないのでしょうか。


本書やドラッカーのほかの著書
ネクスト・ソサエティを読んでおりますと、
まず、国や地方自治体などの行政機関は
万能ではなく、
できること、できないことがある、
ということを書かれています。

それを担う一面が企業にあり、
その行政や企業にできないこと、
その間のことをNPO、NGOが
行っているわけです。

本書を読み進めていくうえで
行政万能論、みたいな
税金で賄っているから
すべての要望を遂行するのが当たり前、
みたいな考え方を持っているなら
捨てたほうがいいかもしれません。
(もちろん、要望は大事で、
そうしないと向こうはわかりませんから)


第12章 公的サービス機関の不振の原因


『公的サービス機関の不振の原因として
よく挙げられるのが、次の三つである。

(1)企業のようにマネジメントしていない。
(2)人材がいない。
(3)目的や成果が具体的でない。』
(マネジメント上 P174)

(1)については
公的サービス機関が
企業のようなマネジメントをするのは
間違いである、と断言しています。

公的サービス機関が
企業の仕組みをそのまま持ってきても、
最前線で成果をあげている
企業のやり方を持ってきても、
難しいのかもしれません。
部分部分ならば取り入れることは
できるかもしれませんが。

『企業を企業たらしめているものは、
それが効率中心ではなく
成果中心であるところにある。
しかるに公的サービス機関に欠けているのは、
成果であって効率ではない。
効率によって成果を手にすることはできない。』
(マネジメント上 P175)

成果すらあがっていないのに
効率化をしたところで
間違った方向へ進むだけ、というところでしょうか。

本書では効率は必要であるけれど、
成果が欠如している、と書かれています。

効率を追及することによって
切り捨てられる肝心なサービスがある、と
指摘しています。

予算型なのですから、
優先順位の低いほうは行われないわけで、
しかも、現在、予算自体が縮小方向へ向かい、
かつ、やることは増える、という状況下で
どのようにやりくりしていくのか。

行政の仕事って、将来的にはたぶん、
だいたいの仕事は、AIとかロボット、コンピュータなどに
代替えされるでしょうけれど、
それはまだまだ先の話になるのでしょうか。

そういったレベルになると、
インフラ、住宅なども、似たような状況になっているわけですが
(行政よりも民間ほうが先でしょうか)
相当先かもしれません。

技術の変化だけで、社会が変わるわけではなく、
そこから価値観の変化を生まれ、
広がっていき、
その後追いで行政がついてくるわけです。
(と言っても、軍事で開発されたものが
民間に転用されていましたけれど。
インターネットであったり、衛星であったり、
パソコン、携帯電話などなど。
行政と軍とは、切り離して考えます。
軍で開発するのは、必要があるからです。
だから、イノベーションが生まれやすいかも
しれません。

ただし、必要性を生み出すような環境を
わざと作っている場面も見られます。
ネクスト・ソサエティ(2002)には
最近の戦争は経済のためにしている、と
はっきり書かれています。)

そこの過程では、過去の価値観があり、
既得権益があって、
新しいものが広がると、
そういったものは無くなったり、
端っこに寄せられたりするわけで、
それを阻止するべく、
動くわけです。

結局、がらりと変わるには
世代の入れ替わりが必要であり、
寿命がきて、亡くなったりして、
人口比率が少なくなって
他の世代人口比率が大きくなって
ようやく、価値観が入れ替わり
新しい時代へと移っていく。

こういう流れではないでしょうか。

といっても、経済や技術はどんどん進んでいきますから、
これからは、こういった考え方も
古くなるかもしれません。
しかも、ネットのおかげで
情報は簡単に手に入りますし、
知識、情報の流通はすごく速く、
(逆に言えば、すぐに埋もれたり、
廃れたりするのですが)
どうなるのか、わからないですが、
楽しみもあります。


(2)は人材についてです。
優秀な人材がいないから、という理由ではなく、
環境がそのような人にさせてしまうようです。

『アメリカでは第二次世界大戦中、
大勢の企業人が政府機関で働いた。
ところが、彼らの多くが直ちに官僚になった。
人間が変わったのではなかった。
企業では成果をあげていた人たちが、
政府機関では手続きづくりに
精を出す存在となった。』
(マネジメント上 P177)

問題はシステムにあって、
人にあるのではない、と書かれています。

やはり、環境という存在は
人間にとって大きいです。
どんなに精神的に強く、
意識をしっかりと持っていたとしても、
環境から受ける影響になんらかの反応を示し、
少なからず、変化を与えてしまう。

どの環境に身を置くのか。

大事な選択です。
選択できれば、ですけれど。

(となると、以前の感想に書いた
フランクル「夜と霧」で、
強制収容所の環境下で
なんとか自分を貫いたフランクルは
すごい、としか言いようがありません。
もちろん、様々な影響を受けていましたけれど。)


(3)目的と成果の具体性についてです。

成果をあげているそれぞれの企業の定義は
具体的ではありません。

シアーズ・ローバック「一般家庭のためのバイヤーになる」
マークス&スペンサー「社会階層を破壊する」
AT&T「顧客へのサービスである」
ソニー「電子情報である」
IBM「データ処理である」
※1970年ごろ、または以前の定義

けれど、これらのミッションを
目標に落とし込むことはできる、と書かれています。

ですから、具体性がないからとって
不振の原因とは言えないようです。


予算制度による間違った方向づけ


企業の場合、顧客は提供を受けた時だけ支払いをし、
顧客の満足が成果と業績を保証するのに対し、
公的サービス機関は、成果や業績に対して
支払を受けているのではなく、
予算、つまり、税金から収入を割り当てる、
という、根本的な違いを指摘しています。

『そのうえ、公的サービス機関や企業内サービス部門には
独占的な力が与えられている。
多くの場合、サービスを受ける側に選択権は
与えられていない。
その独占は、いかなる企業の独占よりも強力である。

~時として、それら公的サービス機関の背後には、
支払いを強制する公権力が控えている。
こうして、供与されたサービスに対する支払いだけでなく、
公的サービス機関維持のための支払いさえ強制される。』
(マネジメント上 P180)

だから、予算型組織では、
より多くの予算獲得が成果であって、
市場への貢献や目標の達成はその次である、
ということが書かれています。

純粋に考えた場合、
(それが社会的に良い悪いは別にして)
そのひとつの予算型組織の収入を得る手段は、
ほとんど、予算の獲得にかかっていますから、
いかに得るのかを最大の目的とするようです。

そういう仕組みなのですから、
自然とそうなってしまう。

一見すると、社会貢献に対して
費用対効果という視点からして
無駄が多いのではないか、
効率が悪くなるのではないか、と考えます。
実際にはそういう一面もあるのでしょうけれど、
ドラッカーの考え方は
そういった善悪みたいなものを
一度全部とっぱらってしまって、
純粋に組織の仕組みに注目し、
そして、俯瞰的に見て分析しています。

その組織が継続するには
どのような条件が必要か。

組織が継続しなければ、
サービスは提供できないからです。

ただし、この本書では、
公的サービス機関の測定、評価、理論が
できていないようです。
そのことを頭に入れつつ
読み進めていく上では、
感情的な部分を横に置いて
ドラッカーの視点を借りて
客観的に見ていったほうが、
理解しやすいかと思います。


効率を上げるなかれ


『いかに大切さを説いたとしても、
予算型組織においては効率やコスト管理は美徳ではない。

~より少ない予算やより少ない人間で成果をあげても
業績にはならない。
むしろ組織を危うくしかねない。
予算を使い切らなければ、
翌年度は減らされると、議会や役員会に思わせるだけである。』
(マネジメント上 P181-182)

予算型において
予算を使い切らなければ、減らされる、
というのはよく問題点として挙げられるところです。

本書では、その結果、予算消化の激しい浪費を招いた、
と書かれています。

つまり、こういった予算型組織において
費用対効果を持ち出してしますと、
費用をいかに抑え、効果を出すか、
という考え方になり、
過小見積もりによる予算獲得となり、
けれど、量はこなさなければならず、
結果として、それは人件費の縮小へと向かい、
けれど、量はこなさなければならず、
当然ながら、それでは有能な人は雇えませんから
結果として、低賃金のパートをたくさん雇い
なんとかこなしていく。

予算型組織の場合、
臨時で雇った人たちを育てて使っていく
ということはあまりできません。

ドラッカーが書いてあるように
予算獲得が一番の仕事ですから、
それ以外のことにおいては
あまり、意識を使うことはなく、
予算型組織の中では次に大事なことは
自分の保身であって、
いかに無難にこなしていくか、
ということになります。

予算を獲得できれば、
その後は安定が約束されています。
その安定をいかに崩さないか
ということになりますし、
今後、その安定の中でずっとやっていくには
いかにその組織の人とうまくやっていくか、
という考え方になります。

このような環境下では
事なかれ主義にならざるを得ないでしょう。
リスクを取る理由がないのです。
リスクを取らなくてもやっていけるのですから。

これは、予算型組織で働いていると
そうなってしまう、ということです。
人のせい、とうよりも、組織がそうさせてしまう、
といったほうがいいでしょう。

といっても、これは部署によって
体質が大きく違いまいして、
使命感をもって働いているところがあれば、
仕事がほとんどなくて、その組織の人を養うためだけに
存在しているようなところもありますから、
なんとも言えません。

必要性や緊急性が高いところほど
意識は自然と高くなるようです。

必要性を感じなければ、
意識は別の方向へと向かうのでしょう。

これは別に、予算型組織に限らず企業含め、
どこにでもある話です。


ドラッカーは予算型組織のジレンマの例を
わかりやく挙げてくれています。
少し長めですけれど、記載しておきます。

『極端な例はアメリカの大都市の警察である。
警察は何が大事かは知っている。
郊外の住宅街では、路上の安全が最も大事である。
達成は可能である。
パトロール警官を増やせばよい。
他方、都心のスラム街では、屋内の安全、
つまり暴行、強盗、窃盗の防止が最も大事である。
しかし警察には、猫が木から下りられなくなったとの電話が、
年老いた婦人からかかってくる。
鍵を開けてくれとの電話が立派な紳士からかかってくる。
隣の家のパーティーがうるさいという電話もある。
これらの電話に対応する警察も、
「警察は公共のためのものであって、
個人のためのものではない」と答えるべきことを知っている。
しかし、誰もそのようには答えない。
例の老婦人は、すぐに市会議員に電話し、
納税者たる自分が対応さえしてもらえないとこぼす。
その結果警察は、何が大事であり、
その限られた資源を何に集中すべきかを
知っているにもかかわらず、
その力を細切れに使う有様となる。
警察としては、そうせざるをえない。
当然、その結果として、郊外の住宅街の路上の安全も
スラム街の屋内の安全も確保されないということになる。』
(マネジメント上 P184-185)

予算に依存すると、
間違ったもの、古くなったもの、
陳腐化したものの廃棄は難しく、
結果、非生産的になると書かれています。

そうすると、結果は出ないわけであるから
その行為が正しい、ということを
証明しなければならず、
努力を倍増させ、予算を倍増させ、
働くべきことを証明する、と書かれています。

これは面白いですね。
結果で証明できない場合、
その行為をいかに魅せるのか、という方向へ
向かっていく。
そのひとつの結果として、
さらに資源を投入する。

そして、やはり結果はでなくて、
さんざんやった挙句、
努力はした、ということになり、
不可抗力的な要素を見つけ出してきて
仕方がなかった、というところへ持っていき
責任の所在はあいまいなまま
現場の誰かが身代わりとなり、
切り捨てられ、収束のほうへと向かっていく、
というところでしょうか。

この部分でドラッカーは以下のように締めています。

『今日の政治理論の前提となっているものが、
政府の機能は永遠のものであるとの考えである。
この考えは教養とさえなっている。
しかし、政府の活動といえども人間の活動である。
人間の活動で陳腐化しないものはない。
したがって今日、政府に関わる原則は、
「現在行っていることは永遠に続けるべきものである」
ではなく、
「現在行っていることは、
かなり近いうちに廃棄すべきものである」
でなければならない。』
(マネジメント上 P186)

選挙で選ばれる人たちは
数年に一回選挙があるわけで、
そこで入れ替えることは可能ではありますが、
公務員やそれに準ずる公的サービス色の強い団体は、
そうもいきません。

課題はいろいろとありそうです。


収入源


『誰かを満足させることによってではなく、
誰も敵に回さないことによって支払いを受ける。
成果は、貢献ではなく
予算を生み出すものとして定義される。
貢献ではなく予算を生み出すものこそ、成果であり、
業績であると誤解する。
これが予算型組織の特質である。
驚いたことに、
このことに経済学者はまったく注目していない。』
(マネジメント上 P187)

ドラッカーは
予算に依存することは良い悪いではない、と書いています。

軍の予算化、シビリアン・コントロール(文民統制)は
軍が自給自足で、絶えず戦い、恐怖、略奪、暴行を繰り返す
戦争の自由企業をなくすためのもの、と指摘します。

軍事関係に経済の自由を与えた結果、
軍需産業は、需要を生み出すべく、いろいろとやっています。

予算型の場合、謝った方向づけの対策をすれば、
かなり中和できると書いています。

つづく。


【出典・参考】
マネジメント[上]
マネジメント[中]
マネジメント[下]
著:P.F.ドラッカー
訳:上田惇夫(うえだあつお)
ダイヤモンド社


利益は誰のために 第13回
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