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愛や虐待も受け継がれる 第33回、購入:ネットオフ、斎藤学(さとる):アダルト・チルドレンと家族。

アダルト・チルドレンと家族
愛や虐待も受け継がれる 第0回
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第33回


「やさしい暴力」


『思春期の親虐待の場合、
被害者の親たちに目立つのは、
子どもへの期待の圧力であり、
親の価値観の押しつけです。
夫婦関係は穏やかであることも
ありますが、
なんらかの葛藤があって
夫婦間の距離が遠く、
妻が夫から情緒的支持を
期待できないといった
冷たい関係にあることが多いようです。』
(アダルト・チルドレンと家族 P138)


暴力というのは
わかりやすい
虐待行為だけではありません。


見えなくて、ゆっくりとしたものにも
虐待、暴力といったものがあります。


親の価値観を押し付け
その期待を子どもが読みとり
親の期待のために生きるべき、
という考えがすでに暴力的だと
本書では書いています。


「やさしい暴力」
「見えない虐待」


と呼んでいます。


親の期待に応えて生きてきた
極度に従順で自発性に乏しい子ども
いわゆる「良い子」は
いずれ期待に応えることができなくなり、
絶望します。


そうすると、絶望のサインを送るそうで
この要求を譲歩させようとすると
暴言や暴力が飛び出すことが
あるそうです。


絶望のサイン、欲求というのは
良い子で従順であったのに
今まで欲求したことのないようなことを
するそうで
本書で例を挙げているのが
お金の要求、留学や下宿などの
家から出る要求のようです。


要求を呑んでも
騒動が大きくなるそうです。


どちらにしろ、うまくいきそうにありません。


実は「承認」を求めているそうで
「私のほうを見て」
「それでいいと言って」
と存在の承認を求めているそうです。


このあたりは
私はよくわからないのですが、
親の期待の沿って生きてきたけれど、
限界が来た。もう無理だと。
親のために生きるのではなく、
自分のために生きてほしい、
というメッセージが欲しい、
一個人として認めてほしい、
ということなのでしょうか。


「よい子」を無意識に演じ、
自分を殺してきたけれど、
それが限界にきていて
そこにさらに
子どもに侵入すると
爆発が生じるようです。


侵入というのは
子どもの意志や価値観への干渉
といってもいいかもしれません。


それと自己処罰の欲望があるようです。
親のために生きてきて
期待から外れたことに
罪の意識みたいなものがあって
それを自分で処罰したい、というものです。


自分で処罰することで
罪の意識が薄れるそうです。


自己処罰するところまで追い込むため
親に暴力をするそうです。


やはりこれも調節能力の欠如でしょうか。
コップがいっぱいになり
あふれるところまでいかないと
自分に処罰しない、ということでしょうか。



第5章
「安全な場」を求めて



「偽りの自己」からの旅立ち



『共依存自己は個々のトラウマへの
仮の修復を繰り返すことによって
成立したもので、
それはそれでアダルト・チルドレンの
生き残りのために必要なものでした。
それはちょうど、
「生き生きした自己」ないし「真の自己」と
呼ばれるものの上に
被せられた外套や鎧のようなもので、
冬の寒い風や外敵の攻撃に
耐えうるためには有効なのですが、
一方では「真の自己」を
窒息させてしまいます。』
(アダルト・チルドレンと家族 P159)


この外套や鎧を脱ぎ捨てて
苦悩の中の安定から
飛び出す決意を固めるというのは
大変な難事業と書かれています。


本書を読んでいると
ここで書かれている旅立ちとは
過去と向き合う、
トラウマの原因となったことに対して
向き合うことのようです。


これは大変の苦悩で、
心身ともに負担がかかり、
生理的反応を起こすかもしれません。
けれど、これを行わないと
真の自己、新しい自己を
獲得できないようです。



エンパワメント



『アダルト・チルドレンは
子ども時代に愛着対象からトラウマを受け、
それによって「力を奪われた」人々です。
またそれによって
「周囲から切り離された」生活習慣を
身につけた人々です。
ですから、彼らの回復を援助するとなれば、
まず「エンパワー」し、
次いで「力の自覚を獲得させ」、
さらにそれを用いて
「新たな関係をつくり出すこと」
ということになります。』
(アダルト・チルドレンと家族 P162)


これは「かんばれ」と力づけることではない、
と書かれています。


まずは力を抜くこと、
安らぎのなかで自らの心の傷に
向き合うゆとりへと導くところから
始まるそうです。


力を奪われた、というのは
成長する機会がなかった、ということも
あるでしょうし、
自己形成できる機会がなかった、
ということでしょうか。


共依存しているわけですが、
こういった人たちは
自立ができません。



例えば、
親といっしょに住んでいて
虐待を受けているとします。
逃げればいい、と言う人も
いますけれど、
逃げる力すらない、
という状態なのです。


意識や気持ち、能力といった
全てにおいてありません。


自分で働いて生活費を稼ぐ力はなく、
生活していくうえで
自己管理できるわけでもなく、
コミュニケーションする能力もなく、
精神や考える力も未熟で
それらを成長させる環境が
まったくなかった人たちは
自分の内面を何とか維持するだけで
精一杯なわけです。


こういった状態は
アキレス腱を切って
逃げられなくしている奴隷に
例えられます。


こういった場合、
家からの脱出計画を立て
ばれないように
少しずつ能力を身につけたり
稼ぐ手段や、
脱出後の生活場所などを見つけたり、
いろいろと情報収集したり
相談したりして
逃げる力をつけていくのです。


今ではネットがありますので
情報は比較的手に入りやすいでしょう。



話しを戻しますと、
アダルト・チルドレンが力を回復するには、
アダルト・チルドレンの力を信じている
治療者や仲間との出会いが必要と
書かれています。
長所を見つけ、力を自覚し、
強めるようです。


『「見守り(ウォッチング)」には
時間と心のゆとりが必要です。
こうしたゆとりを欠いたとき、
母親は、あわてて子どもを抱き起し、
ついでに子どもを叱りとばします。
このような経験をくりかえす子どもは、
自らの能力を自覚する力を
発達させることができず、
母親に依存し続けることになるでしょう。
あるサバイバーは言っています。
「よい治療者は私の経験を尊重してくれた。
私をコントロールしようとするのではなく、
私が自分で自分の行動を決めるのを
助けてくれた」
回復するのはあくまで本人。
援助するつもりが、
逆に新たなトラウマのきっかけをつくったり、
本人の力や自尊心を
剥奪してしまったりする場合が
多すぎるように思います。』
(アダルト・チルドレンと家族 P163-164)


コントロールすること、
これは子どものためには
何の役にも立ちません。
親の自己満足でしかないのです。


尊重できる場というのは
安全な環境がある、とも言えます。
信頼できる環境があるということは
自分なりにいろいろと挑戦できる環境が
整っていると言えるでしょう。


つづく。



【出典・参考】
アダルト・チルドレンと家族
斎藤学(さとる)
学陽書房



【購入先】
ネットオフ



愛や虐待も受け継がれる 第34回

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岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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