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愛や虐待も受け継がれる 第29回、購入:ネットオフ、斎藤学(さとる):アダルト・チルドレンと家族。

アダルト・チルドレンと家族
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第29回


感情生活の特徴の続きです。


【アダルト・チルドレンは
フリをする】


『アダルト・チルドレンは
不誠実で嘘つきです。
楽しくないのに楽しそうにふるまい、
怒っているのに
気にしていないフリをします。
まず自分自身に対して嘘をつき、
自然な感情を押し殺して
生きているのです。』
(アダルト・チルドレンと家族 P100)


嘘をつくのが
自分に対して、というのは
気が付かない視点です。


我慢、忍耐、という美徳があった
日本ではなおさらです。
集団優先の文化というのもありますから、
自分よりも自分以外を
優先させてしまうかもしれません。


それと
相手の評価を気にしている、
というのもあるでしょう。


日本は直接的に伝えることを
してこなかった結果、
その能力は乏しいですし
それが海外での交渉事から
コミュニケーションやプレゼンにいたるまで
うまくいっていない原因のひとつかもしれません。


説明できない、というのは
理解していないのと等しいです。
感覚的にはわかっていても
理論的にはわかっていない、ということです。


感情を押し殺しているということは
表現の仕方、感情の伝え方を知らない、
ということにもなるでしょう。


これって
アダルト・チルドレンというよりも
日本人にも共通するところです。


というよりも
結構な確率で日本人は
アダルト・チルドレンなのかもしれません。


本書では
怒りは嫉妬などの感情は
自然なもので
それらに責任を感じたり、
罪悪感をもつ必要はない、
と書いています。



【アダルト・チルドレンは
環境の変化を嫌う】


『アダルト・チルドレンは必要に迫られて
「共依存的自己」を身につけました。
これは「偽りの自己」とも呼ばれるもので、
傍から見ると苦しそうなのですが、
彼らにとっては必死にたどりついた
救命ボートのようなものなので、
これから離れようとしません。
こうした彼らを
「新たな成長」に導くのは大変困難です。』
(アダルト・チルドレンと家族 P101)


他人に依存し
承認を得て自分を作り上げているので
依存先を手放すことは
自分の崩壊と同じことなのでしょう。


本書では、
頑固でそれまでの生活習慣に固執し、
それが不適切でも変えようとしない、
と書かれています。


今の日本を見ているようです。


他人の強制による変化には反発すると
書かれています。


親からの執拗なコントロールを
経験してきた者としては
反発するのはわかります。


これは
自分を否定されると同時に
自分を利用されているという
感じになります。
そして、利用されているところを
自分が見ているのです。
屈辱的です。


日本人の傾向として
主体性がない、というのがありました。
自分がなければ、
何か別のもので補うか、
何かに依存する、
しがみつく、
ということでしょうから、
重なります。



前にネットで読んだ記事ですが、
(内容はあまりはっきりとは覚えていません)
日本人は不安を感じやすい民族らしいです。
遺伝子レベルでそのようになっているとのこと。
自然災害が多い国なので
不安を感じる能力が必要であったのだろう、という
感じの内容でした。


これが本当のことならば
いろんなことが推測できます。


日本という環境において
不安を感じやすい人間が多いということは
不安をより強く感じる能力がなければ
生存できなかった、ということでしょう。


推測できる自然災害として
地震、津波、火山噴火、台風などなどありますが、
実際のところ、大昔の日本はどうだったのでしょうか。


日本列島の形成は
火山噴火による地殻変動や氷河期の地形変化によって
出来たと言われています。
日本列島に人がやってきたのは
旧石器時代と言われています。
それがいつなのかはよくわかりませんが、
(50万年前とかそういった前の話のようです。)
不安を強く感じる特徴は
日本に来る前なのか
日本に来たあとなのか、
よくわかりません。


火山層に石器が発見されるとか
書かれていますので
火山の存在は大きいかもしれません。


木の文化は旧石器時代からあり
5~6万年前の地層から
広葉樹を使った板が出土されています。


狩猟生活をしていた旧石器時代の人々は
季節によって移動する狩猟対象動物を追って
キャンプ生活をしていたようですが、
その後、半定住生活し、縄文時代(1万4千年頃)には
定住生活となります。


やはり、厳しそうなのは
旧石器時代の氷河期と火山あたりかもしれません。
地形変化ということは地震もあったでしょう。
プレート関係の地震もあれば
火山関係の地震もある。
地震があるのであれば、津波もある。
頻度や規模は現代の比ではないかもしれません。



日本は自然災害が多いですが、
山、森林、川、海からの恵みの恩恵を
多く受けているところでもあります。
山があって、森林があれば、
きれいな水が生まれます。
食べ物も豊富です。
そこに川ができて
山の養分を海へと運べば
近海も豊かです。


四季の変化で
様々な表情を見せます。
(これは温暖になって
広葉樹が広がり始めたころ、
旧石器時代後半から
縄文時代あたりからかもしれません。)


日本人が昔、自然崇拝していたのも
わかります。



自然環境に恵まれた種族というのは
食べること暮らすことに困りませんから
技術がなかなか発達しません。
簡易的なものならあるでしょうけれど、
高度なものになると時間がかかるでしょう。
島国というのもあり、交流があまりありません。
日本の元々の技術の大半は
大陸側から来たのではないでしょうか。


大昔において
主体は自然であって、
そこに依存して生きていた、
という日本人の原型が
推測できそうな気がします。


そうしますと、
主体の資格は
圧倒的な存在でなければなりません。
そこに有能、優秀な人を置くのも
わかります。
(あるいはシンボルのような存在)


責任を取るのは主体です。
これが自然であれば、
仕方がないね、ということになりますし、
人であれば、責任を負ってもらい
主体を交換する、ということになります。


主体に依存する人々は
主体に委ねるかわりに
責任は取りません。
取りようがありません。
無責任、と言われるところでしょう。


妄想に近い仮説ですが
つなげようととすれば、つながります。
こういったところから連想すれば
日本人の特徴とも
つなげることができそうです。


たとえば、不安を感じやすいということは
当然、ネガティブになりやすいし、
不安を取り除こうとします。
欠点を直すのもそうでしょうし、
完璧に依存してしまうのもそうです。
優秀な人が残した型を真似るのも
主体に依存している、と言えそうです。


美術・デザイン方面ですと
強調しようとするとき
何かをプラスするのではなく、
まわりを削る、マイナスすることによって
そのものが本来持っているものを
際立たせる、引き出す、ということをします。
これは和食にも通ずるところですが、
こういった感覚というのは
昔は日本人だけが持っていた
特徴だったようです。


これって、主体には手をつけない、
という考え方かもしれません。


物語(アニメ)において
西洋では本質を描くけれど
日本では本質ではなく、現象を描くそうで
(高畑勲さんが言うには。
これはアニメに関してのお話しでした。)
これは本質の周辺を描くことで
本質を感じる、ということにもなりそうです。
日本のアニメや漫画でおもしろいところは、
現象を描けば、ストーリーは多彩で
様々なものが見られるところでしょうか。


本質を描かず、まわりの現象を描く、
という感覚も
中心には触れない、
ということになるかもしれません。


河合隼雄著「中空構造日本の深層」では
日本神話「古事記」において
アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三神がいますが、
真ん中のツクヨミの話が
ほとんど出てこないそうで、
こういった真ん中の神については
書かれない傾向にあるそうです。
神話における中空構造、中空性と言っています。


挙げていればきりがありませんが、
主体、本質、中心を直接的に触れない、というのは
日本の共通しているところのようです。
それらは感じる存在、ということでしょうか。
主体に依存している側としては、
主体は正しい存在、絶対的存在となるでしょうから、
認識する必要がないのかもしれません。


裏を返せば、主体を利用したきた、と
言えるかもしれません。歴史的に見ても。


この認識する必要がない、という感覚を
現代で例えますと、
重力のような存在、と言えるでしょう。
日常生活において、
重力をいちいち意識している人は
一部の科学者を除いていないでしょう。
重力は明日も明後日も
1年後も10年後も同じようにあるもとして
暮らしていますし、
それが前提で世の中動いています。
いきなり、重力が半分になったり、
2倍になったりすることなんて
考えないでしょう。


これに近い感覚で
自然は正しい、という感覚でしょう。


今の科学をもってしても
自然や地球、宇宙のわからないことは
たくさんあります。
自然は流れとして必然的に
そうなっているわけですが、
人間側が自分たちの基準で
正しいとか、価値がある、
意味や理由を見出して
介入してるわけです。
そのおかげで、絶滅を免れた種もあるでしょうし、
逆に生物たちにとっては生きにくい
環境悪化の方向にも進みます。


別に介入が悪いということではなく、
人間が手をつっこんだ結果、
流れが変わったりしている、
ということです。


日本が自然を重視するのは
様々なところに見られますし、
それは日本文化の一面です。


言葉においても
自然を表す語彙は豊富かもしれません。
(言語学者ではないので
実際のところどうなのかはわかりません。
ですが、語彙によって
その文化がどの方向に
より興味をもっているかが
わかるかと思います。)


自然、不自然という言葉もあるように
自然でないものはおかしい、という
考え方が読みとれます。



別の見方をすれば
中心は目に見えないもので
心のような存在ではないでしょうか。


原型として主体は自然と書きましたが、
自然崇拝の神は八百万の神で
たくさんの神がいるわけですが、
この神は自然の一部を構成している神でしかなく
どれも中心ではありません。


それぞれの個々の自然が織りなす空間から
人々は自然を感じるわけで、
それぞれの影響が重なり
自然を心で感じられると、
自然が心に表出します。
それが中心部分ではないでしょうか。
心で感じる自然、
これが中心で本質だということでしょう。


自然に対する感覚で
よく出される例としては
松尾芭蕉の俳句


古池や蛙飛びこむ水の音


です。
禅の影響を受けて生まれた句と
言われていますが、
蛙が何匹か、
日本人はわかるけれど、
外国人はわからない、
というところに価値観、感覚の差が
あらわれています。


虫の声を雑音と感じるのか
自然の情緒、季節の音と
感じるのか、とか。



話しを戻しますが、
中心がそういった心のようなものであり、
日本人はそれに同調し、
場合によっては同化してきたとすれば、
日本人が持っていた同一性ということにも
つながりますし、
相手の心の状態を
自分のことのように行動する
思いやりという感覚にも
つながるかもしれません。


逆に言えば、
個々の区別がつかず
自立ができず、
場合によっては精神疾患にも
なってしまう可能性がある、
ということにもなります。


言葉を交わさなくとも
わかってしまう、という
感覚的な能力は
理論的は文化の人々には
理解しがたい部分かもしれません。


この言葉を交わさなくてもわかる、
というのは
全てが同じような価値観であることが
前提ですし、
最近では機能しにくいでしょう。
同じ価値観を持った小さな集まりなら
可能でしょうけれど。


これからは多様性の時代に入るのです。
それぞれの価値観を尊重する時代ですから、
それらの価値観を知るには
コミュニケーションを取らねばなりません。
(これは直接話す以外も含みます。)
理解しなければなりません。



いろいろとつなげて考えてみましたが
これらは仮説、推測、妄想の範囲ですし、
それが本当かはわかりません。



次回も感情生活の特徴の続きです。


つづく。



【出典・参考】
アダルト・チルドレンと家族
斎藤学(さとる)
学陽書房



【購入先】
ネットオフ



愛や虐待も受け継がれる 第30回

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