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愛や虐待も受け継がれる 第17回、購入:ネットオフ、ドロシー・ロー・ノルト レイチャル・ハリス(石井千春訳):子どもが育つ魔法の言葉。

魔法の言葉
愛や虐待も受け継がれる 第0回
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第17回
やさしく、思いやりを持って育てれば
子どもは、やさしい子に育つ


『人を思いやるとは、
どのようなことでしょうか。
人を思いやることと、
表面的な礼儀とは違います。
礼儀正しく振る舞うことで
相手を敬っているように
見せかけることはできますが、
それは本当の思いやりでは
ありません。

~人を思いやるとは、
その人を敬い、
やさしくすることです。
それは、毎日のちょっとした
仕草に表れるものです。

~人を思いやることは、
ありのままの人を受け入れ、
その人の気持ちを尊重し、
ときには自分の気持ちよりも
優先させることなのです。』
(子どもが育つ魔法の言葉 P229)


最初、思いやり、という言葉や
ここに書かれている内容が
わかるようで
わからない、といいますか、
しっくりきませんでした。


たぶん、これは
私が今まで生きてきた中で
あまり良いイメージが
ないからなのかもしれません。


それは本来の思いやりとは
違っていて
私が間違った認識を
しているためでしょう。


以下は
私の歪んだ認識の例として
書いておきます。


これは私の生活してきた環境の影響なのか、
それとも、日本の文化の影響なのか、
わかりませんけれど、
思いやりという言葉を使う場合、
自分を閉じて
我慢し、耐える、という
世間体優先のイメージがありました。


もちろん、そういう場合もあるでしょう。
けれど、面倒を封じるがごとく、
強制してくるのです。


個人の尊重よりも
組織の尊重、世間の尊重、で、
そのために個人や自由が犠牲になっている
ように感じられてしまうのです。


都合の良い言葉として
思いやりという言葉が出てくるのです。


私自身、どんな人間に対しても
思いやる、ということは
できそうにありません。


たとえば、
平気に相手を傷つける人であったり、
自己利益のために相手を不幸にしたり、
嘘ばかりついていたり、
虚栄心を満たすことしか
考えていなかったり、
愚痴や悪口ばかりいう人や
あまりにも無責任な人、
あげれば切りがありませんが、
そんな人たちにたいして
思いやるなんて
心の狭い私では到底できそうに
ありません。


正直言って、
こういう人たちとは
関わりたくない、
というのが本音です。


価値観の違いならば
お互いに話し、
理解すればよいですが、
それとは別のことです。


以上が私の歪んでいる認識ですが、
こうやって書いてみますと
どうやら、
思いやりという言葉を
個人や個性、自由を否定してきた
都合のよい道具として
見てきたからでしょう。


違うイメージが
ついてしまっているようです。


なにも考えずに
常識という言葉ひとつで
なんでも相手を封じ込めようとする
都合のよい言葉と
同じイメージなのでしょう。



思いやりは
相手の立場になって考える、
ということになりますが、
私の考えでは
相手も自分も良くなるように
大切にする、
というのがしっくりときます。


相手のために自分を捨ててしまうのは
一時的にはできても
継続という視点では
難しいですし、
自分を大切にできていないのに
相手を本当に大切にできるのか、
というのが
私の考え方のひとつにあります。


自分の身体や精神が
ある程度安定していないと、
できるものではないでしょう。


無理してやって
それが相手に伝われば
逆に気を使ってしまうものです。


継続できないものは
広がりません。



思いやりの心を育てる



『幼い子どもは、
自分のことしか考えられません。
赤ちゃんや
よちよち歩きの幼児は、
世界は自分を中心に
回っていると思っています。

~成長するにしたがって、
この自己中心性を
和らげてゆきます。』
(子どもが育つ魔法の言葉 P231)


ここでは
思いやる気持ちを教える機会は
日常生活のあるゆる場面に
訪れるとして、
スーパーでの買い物時の手伝いの例や
遊びを通して教えることが
書かれています。


一人ではなかなか思いやりは学べないので
親が導かなくてはならない、
と書かれています。


ここで導くというのは
子どもの話を聞き、
質問をして考えさせ、
自ら答えを出して行動をする、
ということです。


日本ならば
その理由なんかをきちんと説明せず、
そのように決まっているから、とか
常識だから、とか
形だけを押し付けて
なぜそうしなければならないのか、
ということを理解させる機会を
与えていない場合があるでしょう。


中身を知らなければ
思いやりとはいわないでしょう。
思いがありません。



子どもは両親の関係を見ている



『子どもに大きな影響力を持つのは、
両親の夫婦仲です。
子どもはよく見ています。
口ではどんなに綺麗事を言っても、
実際にはどんなことをしてるかのほうが、
ずっと子どもに影響するのです。』
(子どもが育つ魔法の言葉 P236)


ここでちょっと面白いやりとりが
書かれています。


子どもたちがケンカをしていて、
お母さんがやめなさい、と注意します。
そうすると子どもは、


『「でも、ママとパパだって、
いつも喧嘩しているじゃない。
どうして、あたしたちだけが
怒られなくちゃならないの」
お母さんは、言葉を失いました。』
(子どもが育つ魔法の言葉 P236)


親のコミュニケーションの取り方を
子どもは観察しているようです。



違いを認めて人を敬う



『将来、子どもは成長して、
異なった信条や人種や習慣の人々と
一緒に生きてゆくことになります。
家庭のなかでも、
家族一人ひとりの個性や違いを認め、
尊重し合って暮らしてゆきたいものです。
そんな家庭で育てば、
子どもは、偏見のない人間に
成長するに違いありません。』
(子どもが育つ魔法の言葉 P237)


日本ではほぼ単一民族で
海外に出ることもあまりなく、
日本だけで生きていく人が
多いです。
多種多様な価値観がある海外と違い、
ある程度同じ価値観です。
価値観の違いといえば、
年代別の差であって、
海外との差をさすことは
少ないかもしれません。


日本では違いを知る機会が
少ないでしょう。
私も一度も
日本から出たことはありません。
ですから、海外の価値観を知るのは
ネットや本、映画やドラマ、報道です。


海外との価値観の差を知ることも
必要でしょうけれど、
まずは、個人の尊重ができていないと
難しいでしょう。


偏見がない、といっても
やはり、どうしても
偏見ができてしまうのは
仕方がないことです。
今までの経験、知識によって
偏ることは出てきます。


それを隠して、
偏見がない、と装うことよりも
偏見があることを認識するほうが
大事ではないか、と感じているところです。
認識しなければ、変えることはできません。


変えるには
知ることが大事になってくるでしょう。
(けれど、これも別の方向に
偏ってしまう可能性もあります。
やはり、バランスをとりながらも
情報や知識をひとつの参考として
扱うのがいいかもしれません。
知識というのは
可能性を広げるとともに
可能性を狭めてしまう、という
2面性があるようです。)


つづく。



【出典・参考】
子どもが育つ魔法の言葉
ドロシー・ロー・ノルト
レイチャル・ハリス
石井千春訳
PHP文庫



【購入先】
ネットオフ



愛や虐待も受け継がれる 第18回

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Author:ウシポニ

岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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