スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

愛や虐待も受け継がれる 第14回、購入:ネットオフ、ドロシー・ロー・ノルト レイチャル・ハリス(石井千春訳):子どもが育つ魔法の言葉。

魔法の言葉
愛や虐待も受け継がれる 第0回
【第1回】【第2回】【第3回】【第4回】
【第5回】【第6回】【第7回】【第8回】
【第9回】【第10回】【第11回】
【第12回】【第13回】


第14回
分かち合うことを教えれば、
子どもは、思いやりを学ぶ


『親自身が、人に対して、
また子どもに対して
分かち合う心を持って接すれば、
子どもはその親の姿から
学ぶのです。
分かち合う心は、
言葉で教えるのではなく、
親が態度で示すことが
大切なのです。』
(子どもが育つ魔法の言葉 P181)


本書では、
家族のなかで助け合い、
協力する経験を通して
分かち合う心を学ぶ、と
書かれています。


経験しなければ
学ぶ機会もありませんので
そうなのですが、
兄弟姉妹が
いるいないでも
影響しそうです。


もちろん、
親の行動を見て
学ぶのが多いかもしれません。


ここで書かれていることは
一人で独占するよりも
みんなで共有したほうが
いいよね、ということです。


人間に限らず、
集団で生きる生き物ならば
必要な機能です。


動物ならば
仲間だけということになりますが、
人間ならば
考え方次第で
価値観の違う人間とも
分かち合うことは可能です。



分かち合う、
という言葉は
今、あまり聞きません。
これは私だけなのかもしれません。



話しは変わりますが、
分かち合う、と
このブログついて
少し考えてみます。


このブログは、
何か大切なことに反応し、
それをネット上に残しておく。


ネット環境があれば
だれでも自由にいつでも無料で
アクセスできるところに
残しておく、ということですので、
伝える、というよりも
表現に近い行為です。


その行為が
その後どのようなことになるのか、
どのような反応があるのか、
ということは
別の話であって、
その反応を起こすことのために
行っていることではなく、
大切なことに
反応して書く行為自体を
主な目的としています。


ネット上の石碑とも
いいましょうか。
勝手に残しているのです。


それを誰かが読んで
スルーする人が
たいていでしょう。
そこから
何かを汲み取って
何か反応する人も
いるでしょう。


このブログは
分かち合う、とは
違うところにあります。



別の視点で考えれば
見返りを求めずに
行っている、というところは
同じです。


大切だと思うことを
ネット上に残すことは
その大切なものを
分かち合いたい
からなのかもしれません。


表現、という行為は
自分のため、というのが
メインではありますが、
公開する以上、
それを未来の誰かの
目に触れることを前提に
している行為とも言えます。


ただ、不特定多数のために伝えることを
前提にはしていなくて、
興味や関心がある人だけが
反応できるような仕組みといいますか、
ラジオや無線で例えるならば
無指向に360度、
電波を発信し、
その周波数に合う人だけ
聞いてください、という
ことではないでしょうか。


受け手側がチューニングして
周波数を合わせて受け取ること
つまり、感じられる人だけが
反応できるような仕組みです。


ですから、
表現の世界においては
合う合わないが出るのが
普通なのです。



100%表現や
100%デザインといったものから
これらの比率が50%:50%など
混ざりあったものなど
さまざまですから、
単純に区別できるものでも
ないとは思いますが、
そこはいろいろあって
面白いです。


100%ではない例をあげれば、
(比率はそれぞれですが)
小説なんかがそうでしょう。
日本では
純文学、大衆文学と
分けますが、
大衆文学のほうがそうです。


表現することと
読者のためにすることがあります。
漫画もこの例に当てはまりそうです。


ある日本の著名な大衆文学の作家が
言っていました。
本当は100%で書きたいけれど、
それはできないので、
50%で書いている、と。
それを知った読者は
ぜひ100%で書いたものを
読みたい、という感想を
読んだことがありますが、
それをやったら
大衆文学としての読み物にはなりません。
純文学になってしまいます。



話しはずれましたが、
分かち合う、の
代表的なものは
ボランティア活動や
寄付などでしょうか。


自分の時間や金銭を
相手のために使う行為です。


相手のために貢献することで
喜びを感じる、
内的報酬を得ています。



本書は
子育ての本ですので、
分かち合う、という行為が
大切であることを
教えていくことになりますが、
それがさらに進んでいくと
平等や公正という概念も
学んでいくことになります。


ただ単に半分にして
相手に与えればいいのか、
ということになります。


相手を知ることが
必要になってきます。
善意の押し売りにならないように
しなければならず、
自己満足で終わらせては
ならないように
しなければなりません。


けれど、そこまでは
小さな子どもの段階では
無理に覚える必要はなく、
発育の段階に合わせて
知っていけばよいことです。


与えること。
これは貢献できる喜びを
知ることです。



分かち合うは赤ちゃん時代から



『幼い子どもが、
他人の気持ちを思いやることが
できるようになるまでには、
時間がかかります。
他人の気持ちを思いやることは、
子どもが成長の全段階をとおして
少しずつ学んでゆく能力なのです。』
(子どもが育つ魔法の言葉 P182)


ここでは
子どもの発育状態に合わせて
分かち合うことを
教えていく、ということが
書かれています。


例として書かれているのは
2歳半の子どもが
一人で遊んでいると
もう一人がやってきて
おもちゃを奪い取ります。
そうしますと、
おもちゃを奪われた子どもは
その場から去り、
別のおもちゃで遊び始めます。
そうしますと、
おもちゃを奪った子どもは
一緒に遊ぶことができなくなって
しまいます。
そのことが分かると、
奪ったおもちゃを持って
近づいていき、
おもちゃを差し出しました。
そして、いっしょに遊ぶことに
なります。
一人で遊ぶよりも
二人で遊んだほうが楽しい、
ということが分かったのです。


これは2歳半のことが
書かれていますが、
現在の社会でも
同じようなことが言えます。


物質を独占するのか、
体験や気持ちを共有するのか。


もしかしたら、
人類の歴史を見た場合、
現代の人間というものは
小さな子どもくらいの
段階でしかないのかも
しれません。



子どもと過ごす時間



『本当の意味での分かち合いとは、
与える行為であり、
見返りを期待しない心です。
その人のことを思って、
その人が必要なものを
与えることなのです。
そんなとき、わたしたちは、
多少の犠牲をはらったとしても、
損をしたとは思いません。
なぜなら、与えることによって、
わたしたちは本質的に
得ているからなのです。』
(子どもが育つ魔法の言葉 P189)


本書では、
親が子どもに与えられる
一番のことは、
そばにいてあげること、と
書かれています。


与えられた側は
その行為を受けたことで
与えられるということが
どういうことなのか、
わかるかもしれません。
(無意識部分には影響するでしょう。)
そうすれば、
自分もできることで
与えようと思う子どもも
出てきます。


そして、
与える側になったとき、
与えるとはどういうことなのか
わかるでしょう。


損得ではなく、
与えることで本質的なものを
得ている、と書かれていますが、
本質的なものは
目に見えない、
つまり、物質的な形ではない
ということです。


大切なものとは何なのか、
それを子どものときに
少しでも知ることができたなら
その子の人生は
大きく変わっているかもしれません。


つづく。



【出典・参考】
子どもが育つ魔法の言葉
ドロシー・ロー・ノルト
レイチャル・ハリス
石井千春訳
PHP文庫



【購入先】
ネットオフ



愛や虐待も受け継がれる 第15回

検索フォーム
カテゴリリスト

各アイコンの説明。

カテゴリオープン
カテゴリクローズ
個別カテゴリ
全カテゴリオープン
全カテゴリクローズ

  • plus
  • minus
プロフィール

ウシポニ

Author:ウシポニ

岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

お知らせ、メモなど
  • 感想文の更新は終了いたしました。ブログの更新も2016年6月をもって終了いたしました。今後の更新はございません。今までありがとうございました。
最新記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。