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絶望の向こう側へ進むには 第14回、購入:楽天ブックス(みすず書房)、ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子訳):夜と霧 新版。

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絶望の向こう側へ進むには 【第0回】
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第三段階



収容所から解放されて



『すでに述べた極度の緊張の
数日を過ごしたのち、
ある朝、
収容所のゲートに
白旗がひるがえった
あの時点から
語り起こしたいと思う。
この精神的な
緊張のあとに襲ったのは、
完全な精神の弛緩だった。
わたしたちが
大喜びしただろうと
考えるのは間違いだ。』
(夜と霧新版P147)


ここでは解放されて
自由になったときの心理が
書かれています。


ゲートには白旗あって、
フランクルたちは
ゲートから外に出て
のろのろと道を進みます。


けれど、
自由を実感できなかったようです。


『自由という言葉は、
何年ものあいだ、
憧れの夢のなかで
すっかり手垢がつき、
概念として色あせてしまっていた。』
(夜と霧新版P148)


号令もなく、
鉄拳や足蹴りを恐れ、
身をちぢこませることもない。
けれど、自由は実感できない。


なにか大きな変化を
体験をしないかぎり、
過去の延長だと思うのでしょう。


実感ができない、ということは
普段の生活のなかでも
あることではないでしょうか。


今までの延長で
ただやっていたことだったのに
なにやら、まわりは
違った反応をしていたりすることで
気が付いたり、
それが当たり前だと思ったり、
それはみんな知っていることだろう、
と思っていたことが
実は、世の中ではそうではなく、
自分が変化したことで
知りえたことだったのだ、と
初めて知ることがあります。


自分の変化というのは
自分以外の何かと比較しないと
わかりにくいのでしょう。


人の認識というのは
そういうものなのかもしれません。


フランクルが自由を実感するのは
先になります。


昼、
外に出て、
自然の中を歩いてみたものの
夜になると
仲間とともに
むき出しの土間の居住棟に
もどってきます。
そして仲間にだずねます。


『「なあ、
ちょっと訊くけど、
きょうはうれしかったか?」
すると、訊かれたほうは
ばつが悪そうに、
みんなが同じように
感じているとは
知らないからだが、答える。
「はっきり言って、
うれしいというのでは
なかったんだよね」
わたしたちは、
まさにうれしいとは
どういうことか、
忘れていた。
それは、もう一度
学びなおさなければならない
なにかになってしまっていた。』
(夜と霧新版P149)


喜怒哀楽、
人間の感情を使っていないと
反応が鈍くなったり、
反応しなくなったり
することはあります。
逆に、常に使っていれば
ちょっとしたことでも
反応しやすくなります。


強制収容所で
心を保つために
感情を切り離し
心は枯渇状態なのですから
感情が反応しないことは
考えられます。


けれど、
自由を実感するときが
やってきました。


食事です。


何時間も何日も
食べたといいます。
それは深夜にも及ぶことも
ざらだったそうです。


そうしますと、
舌が滑らかになり
語り始めました。
何年もの抑圧から
解放されたのです。


日照りが続き、
干からびた大地に
川の水がいっせいに流れ込み
覆いつくし、
乾いた砂色から
湿った土色に変化し
大地に水が吸い込まれ
満たされていくのを
思い浮かびました。


数日して
内面で何かが起こるのを
感じたようです。


突然、
感情がほとばしるのを
感じました。


心が動き出したのです。


今まで自然の中を歩いても
なにも感じなかったのに、
心が動き出した後に歩く自然は
感じかたがまったく違うようです。
ひばりのさえずりが
賛歌に聞こえ、
広大な天と地が
自由の空間と感じ、
新しい人生が始まったことを
実感するようになります。


ふたたび人間になったことを
確信します。


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放免



『強制収容所から解放された
被収容者はもう精神的なケアを
必要としないと考えたら誤りだ。
まず考慮すべきは、次の点だ。
長いこと空恐ろしいほどの
精神的な抑圧のもとにあった人間、
つまり強制収容所に
入れられていた人間は、
当然のことながら、
解放されたあとも、
いやむしろまさに
突然抑圧から解放されたために、
ある種の精神的な危険に
脅かされるのだ。』
(夜と霧新版P152)


権力や暴力といった
枠組にとらわれた
心理的態度をみせることが
見られたそうです。


今まで、
強制収容所という
抑圧された空間で
暴力などに耐えてきたので
いままでそういったことに
耐えてきたのだから
何をやってもよい、
と履き違えてしまう
行動が見られたようです。


こういった負の連鎖は
どうしても出てきます。


心の傷というのは
ずっと残るものだというのが
わかるでしょう。


復讐にまかせて
行動をおこしていては
争いはなくならず、
それがさらに
争いを生みます。



けれど、
怒りや不満を
おもてに出さずに
いられることが
できるでしょうか。


ですから、
暴力以外の手段で表現し、
伝えなくてはなりません。
2度と繰り返さないように。



『精神的な抑圧から
急に解放された人間を
脅(おびや)かす
この心の変形とならんで、
人格を損ない、
傷つけ、
ゆがめるおそれのある
深刻な体験があとふたつある。
自由を得て
もとの暮らしにもどった
人間の不満と失意だ。』
(夜と霧新版P154)


不満の原因は、
ふるさとに帰ってみると
自分のたちの苦しみを理解してくれず、
反応が薄いことです。


失意は、
今まで信じて耐えてきたのに
解放されて
帰ってみれば
その信じていたものが
なかったときです。


『町の中心部から路面電車に乗り、
何年も心のなかで、
心のなかでのみ見つめていた
あの家に向かい、
呼び鈴のボタンを押す。
数え切れないほどの
夢のなかで願いつづけた、
まさにそのとおりだ……
しかし、
ドアを開けてくれるはずの人は
開けてくれない。
その人は、
もう二度とドアを開けない……。』
(夜と霧新版P155-156)


愛する妻を想うことで
耐えてきたのに
帰ってみると
その妻はいない。


今までの苦悩が底だと思っていたけれど、
さらにその下があって、
落ちていく。


自由のなかで運命から手渡された失意は、
のりこえることがきわめて困難であって、
安易ではないけれど、
精神医として
使命感を呼び覚ますものがある、
と書かれています。


最後の文章です。


『収容所で体験したすべてが
ただの悪夢以上の
なにかだと思える日も、
いつかは訪れるだろう。
ふるさとにもどった人びとの
すべての経験は、
あれほど苦悩したあとでは、
もはやこの世には
神よりほかに
恐れるものはないという、
高い代償で
あがなった感慨によって
完成するのだ。』
(夜と霧新版P156-157)


本書はここで終了しています。


人生のどん底と思える苦しみを
乗り越えて、
それと向き合えるようになったとき、
人は変化し成長します。


神よりほかに
恐れるものはない、
というのは、
私にもわからなくもない
経験があります。


死を決意し、
そこから這い上がったから
言えることかもしれませんが、
人生のなかで
いまだに
この決意よりも
上回るものに
出会ったことがない、
ということです。


その決意ができるのならば
どんなことでも
挑戦できるのでは
ないでしょうか。


それから死んでも
遅くはないでしょう。


生きているということは
いずれ、死は
必ずやってきます。
一回しかできませんから、
死に急ぐ必要もない、と
考えています。


毎年、「死」という存在を
一度は考えます。
そして、人生を見つめ、
自分がやるべきことを
考えます。


時間の有限さを知ります。
今できることと
来年できることは
違うだろうし、
10年後には
今できることが
できなくなっているかもしれない。
そうしますと、
気持ちが引き締まるのです。


それは肉体的なこと
精神的なこと、
価値観や感覚が
変わってしまっているかもしれない。
生活環境や社会情勢が
変わってしまっているかもしれない。


そう思うと、
今を生きようと思うのです。


私は
人生の最初のほうに
代償を払ったのかもしれません。
払い続けてきたのかもしれません。
その結果が、
去年や今年はちょっとだけ
見えたのかもしれません。



本書はこれで終了です。
次回は、NHKテキストのほうを
読み直し、
勉強しながらも、
感じ想ったことを
書いていきます。


続く。



【出典・参考】
夜と霧 新版 
池田香代子訳 ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房

NHKテレビテキスト 100分で名著
フランクル 夜と霧
諸富祥彦
NHK出版



【購入先】
夜と霧 新版
楽天ブックス

【購入先】
フランクル 夜と霧(NHKテレビテキスト)
M's EXPO(エムズエクスポ)
岩手県盛岡市みたけ3-36-1



絶望の向こう側へ進むには 第15回

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岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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