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絶望の向こう側へ進むには 第13回、購入:楽天ブックス(みすず書房)、ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子訳):夜と霧 新版。

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絶望の向こう側へ進むには 【第0回】
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【第12回】



苦しむことは
なにかをなしとげること


『苦しみことの意味が
明らかになると、
わたしたちは収容所生活に
横溢(おういつ)していた苦しみを、
「拒圧」したり、
安手のぎこちない楽観によって
ごまかすことで軽視し、
高(たか)をくくることを
拒否した。
わたしたちにとっては、
苦しむことですら
課題だったのであって、
その意味深さにもはや
目を閉じようとは思わなかった。』
(夜と霧新版P132)
(※横溢:水がみなぎりあふれること。
気力などがあふれるほど盛んなこと。)


苦悩することには
意味があります。
前に進もうとするからです。
そして、苦悩するのは
人間として普通の行いです。


そういったことを発見し、
理解した人びとは
「苦しみ尽くす」
と言っています。


『ときには涙を流すこともあった。
だが、恥じることはない。
この涙は、苦しむ勇気を
もっていることの証だからだ。』
(夜と霧新版P132)


理由のわからない苦しみは
耐えがたいものがありますが、
理由のわかっている苦しみ、
その意味を分かっている苦しみは
耐えやすいと言えそうです。
その過程にも意味がある、
ということです。
それが未来の糧となります。
その経験は成長や変化に
寄与するでしょう。



なにかが待つ


『個人にたいする精神的ケアは、
命を救うための緊急「処置」として
なされることもあった。
とくに自殺を思いとどまらせるときだ。
自殺を図った者を救うことは
きびしく禁止されていた。
仲間が首を吊ったところを発見しても、
綱を「切る」ことは
規則で禁止されていたのだ。』
(夜と霧新版P133)


フランクルは
2つの例をあげています。


自殺願望を口にした人々に対し、
生きていれば、
未来に彼らを待っているなにかがある、
ということを伝えることに
成功したといいます。


ひとりは、
外国で父親の帰りを待つ、
愛している子供がいました。


ひとりは
研究者で、
あるテーマの本を書いていましたが、
完結していませんでした。


そういったことが
待っている。
これらが
生き続けるという責任の重さに
気づかせるといいます。


『自分を待っている
仕事や愛する人間にたいする
責任を自覚した人間は、
生きることから降りられない。』


生きる理由、意味を
意識させることで
存在意義を自覚させ
どのような環境でも
耐えられるようになるようです。


強制収容所内での
病死、自殺の
本当の原因は
自己放棄で、
精神的な崩壊で
犠牲になるといっています。


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収容所監視者の心理


まず、前置きがしてあります。


『収容所の監視兵のなかには、
厳密に臨床的な意味での
強度のサディストがいた。

~選り抜きの監視隊を編成するときには
サディストが求められた。』
(夜と霧新版P141)


厳寒の作業現場で、
ストーブにあたる許可を
しておきながら
その喜びを取り上げることに
快楽を覚える現場監督や
監視兵がいたといいます。


サディズムやマゾヒズムというのは
心理学の分野では
よく出てくるところのようです。
専門家ではありませんので
少しネットで調べてみますと
見解はいろいろあるようですが、
ざっくりとした共通点は


支配と服従


という関係性にあるようです。


この関係性を使うことで、
普段の生活において満たされないものを
満たすためとか、
現実逃避のためとか、
いろいろあるようです。


私はどちらにも
興味がありませんので
(世の中、SとMの人に
わかれる、と言っている人も
いますけれど)
このあたりの心理は
よくわかりません。


支配や服従の関係性を
あまり好まないのは
どちらも自由を抑制することに
関係があるからだと
自分では思っております。


もしかしたら、
未来的には
こういった関係性は
少なくなっていくかもしれません。
縦社会(封建)が
いまだにあるとはいえ、
世代がかわるごとに
横の意識は強くなっていくでしょうから。


それとも、
横のつながりが強くなっていくと
逆にそういった関係性を
求める人も出てくるのでしょうか。



監視兵の多くが、
嗜虐(しぎゃく)行為を
長年、見慣れてしまったため
鈍感になってしまって
他のサディズムに口を挟まなくなった、
といいます。


心が枯れる。
感情の喪失は
共感することをしなくなる、
できなくなる、
ということではないでしょうか。



収容所の監視者のなかには
その役割を逸脱したものもいて
被収容者のために
ポケットマネーをかなり出して
薬局から薬品を買っていたといいます。


いっぽう、厳しい監視者もいて
手あたり次第殴っていた人もいたそうです。


このことから
収容所監視者、被収容者というだけで
人は判断できない、
といっています。



フランクルは


第二段階 収容所生活


の章の最後に
以下のような言葉を書いております。


『わたしたちは、
おそらくこれまで
どの時代の人間も知らなかった
「人間」を知った。
では、この人間とはなにものか。
人間とは、
人間とはなにかをつねに決定する存在だ。
人間とは、
ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、
ガス室に入っても
毅然として祈りのことばを口にする
存在でもあるのだ。』
(夜と霧新版P145)


我思う、故に我あり
というデカルトの言葉にも
通ずるところがあります。


意味や理由について
常に考える存在と言えそうです。


続く。



【出典・参考】
夜と霧 新版 
池田香代子訳 ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房

NHKテレビテキスト 100分で名著
フランクル 夜と霧
諸富祥彦
NHK出版



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岩手県盛岡市みたけ3-36-1



絶望の向こう側へ進むには 第14回

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岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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