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絶望の向こう側へ進むには 第11回、購入:楽天ブックス(みすず書房)、ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子訳):夜と霧 新版。

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絶望の向こう側へ進むには 【第0回】
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運命―賜物(たまもの)



『きわめてきびしい状況でも、
また人生最期の瞬間においても、
生を意味深いものにする可能性が
豊かに開かれている。』
(夜と霧新版P114)


フランクルは
強制収容所という
過酷な環境の中で
内なる自由を表明し、
苦悩があってこそ
可能な価値の実現へと
飛躍できたのは、
ほんのわずかな
人びとだけだったかもしれない、
と言いながらも、
それがどんな環境でも
人間の内面は
強くなることができる、
という証明だ、と
言っています。


そして、それは
強制収容所とは限らず、
人間はどこにいても
運命と対峙する、と
言っています。


人間は意味を求める生き物です。
それは、
人生においても
意味を求めます。


自分の
居場所を求めるのも、
孤独を感じるのも、
やりがいを感じるのも
意味を求めるからです。
理由がないと、
不安で仕方がない。
行き先や目的地がないと
進む意味を見いだせない。


フランクルの考え方では
その意味や理由を
自分以外の外側に求め、
使命感を持つことで
生きることに
意味をつけるようです。


幸せは
求めれば求めるほど
遠のいていく、
というのは
様々な方が言っていますが、
自分だけための行動をして、
自分を満たそうとしても
なかなか満たされず、
むしろ、欲求不満になるのは
よくあることです。


その行動の理由・意味を
自分の外に求める。
何か大切なことのために
行動する。
そうすることで
心が満たされたような
感覚になるのは、
やはり、これも
集団で生きる生き物の
仕組みなのだろうか、
と考えてしまいます。


共感し、行動する。


よく出来ていると
思ってしまいます。



意味を求める一方で
その反動なのか
意味を求めないことも
存在します。


どちらも
「意味」
という存在があって、
生まれる考え方でしょう。


意味とは
使命感・目的・理由づけなど
進む方向を決めますけれど、
生きる方向を
意味で縛っている
という見方も出てくるわけです。


となれば、
そこから解放してみたい
ちょっと休みたい、
という感覚も出てきます。


普段とは違う世界で
人生をほぐすことも
必要かもしれません。
柔軟性を持たせるためは
そういったことも
必要でしょう。


継続するためには
休むことも必要です。



意味を求めない人の中には
意味に束縛されたくない、
自由を求める生き方に
楽しさを感じている、
という価値観があるのかも
しれません。


こういう人達には
フランクルの考えは
合わないかもしれません。



意味があるゆえに
意味という束縛から離れる、
というのは
実はわからなくもないんです。


読書感想文を書き始めて
数ヶ月。
本の内容に
ただ、反応し、
そこから価値や意味を
見出して
自分なりの考えや
感じたこと思った事を
書く行為を続けていると
意味という概念から離れて
感覚だけの世界で
考えないで
共感する、
ということを
したくなります。
反動でしょうか。


そこに大切なものがあって
そのための行動のひとつが
この読書感想文ですが、
意味というのは
どちらかというと
意識の部分の活動で
その部分をお休みさせて
無意識部分を反応させたい、
という欲求が生まれているように
感じています。


無意識の純粋な感覚を
楽しみたい。


日常と非日常の
関係と似ているかもしれません。


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暫定的存在を分析する



ここでは被収容者を
「暫定的存在」
として定義し、
そのことについて
説明がされております。


心理学の立場から
観察してまず明らかになることは、
精神的、人間的に脆弱(ぜいじゃく)な者が
収容所世界の影響に染まっていく。
脆弱な人間とは、
内的なよりどころを
もたない人間、
と書いております。
このあたりは想像できます。
内面の弱い人が
環境に影響されやすい、
ということでしょう。


フランクルは
強制収容所での
時間感覚に注目しています。


被収容者は
解放までの期限を
まったく知りません。
未定です。
無制限に引き延ばされています。
終わりが不確定です。
ここで人生の終わりを
向かえるかもしれない。
目的を持って
生きることができない。
未来を見すえて
存在することができない。
そうしますと、
内面生活はその構造を
がらりと様変わりする、
と言います。


精神の崩壊現象が始まります。


『ある被収容者が、
かつて、新たに到着した
被収容者の長い列にまじって
駅から強制収容所へと
歩いていたとき、
まるで
「自分の屍(しかばね)のあとから
歩いている」ような気がした、
とのちに語ったことがある。


~その人の人生のすべてが
過去のものになったとの
見方を強いるのだ。』
(夜と霧新版P120)


強制収容所に入れば
いつ出られるかわからない。
出られないかもしれない。


自分の人生を
自分の意志で選択して
歩むことが
できなくなったのだから
それは人生の終わりを意味し、
その長い列にまじって歩いた時、
「生きる屍」
という実感を持ったのかも
しれません。


『人間として破綻した人の
強制収容所における
内面生活は、
追憶をこととするようになる。
未来の目的によりどころを
もたないからだ。』
(夜と霧新版P121)


退行のことを
書いていると思いますが、
未来に目的、希望が
持てないのならば
過去に戻り、
欲求を満たそうとする。


お年寄りの人たちの中には
過去に戻ろうとしたり、
過去を美化したりするのは、
未来に目的や希望が
持てないからかもしれません。


年をとる、
ということが
体も人生も衰えていくこと、
と捉えてしまうと、
未来に失望し、
余生を楽しむという感覚はなく、
過去に目を向けて、
自分にとって
良いときを想像し、
固執してしまう。


そうしますと、
当然、現代との価値観とは
かけはなれますし、
自分が正しいと思い続ければ
その価値観を
まわりに押し付けます。


現実から逃げ
過去の生活にしがみつき
心を閉ざす。


このような人間に
成長は望めない、
とフランクルは言っています。



『ビスマルクの
こんな警告があてはまった。
「人生は歯医者の椅子に
坐っているよううなものだ。
さあこれからが本番だ、
と思っているうちに
終わってしまう」
これは、
こう言い替えられるだろう。
「強制収容所では
たいていの人が、
今に見ていろ、
わたしの真価を
発揮できるときがくる、
と信じていた」
けれども現実には、
人間の真価は
収容所生活でこそ発揮されたのだ。』
(夜と霧新版P122)


今の人に言いかえれば
「いつか本気を出す、
と言っているうちに
終わってしまう。
普段から本気を出せない人に、
本番で本気を出せるわけがない。」


いいわけの人生には
したくないものです。


続く。



【出典・参考】
夜と霧 新版 
池田香代子訳 ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房

NHKテレビテキスト 100分で名著
フランクル 夜と霧
諸富祥彦
NHK出版



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フランクル 夜と霧(NHKテレビテキスト)
M's EXPO(エムズエクスポ)
岩手県盛岡市みたけ3-36-1



絶望の向こう側へ進むには 第12回

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岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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