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絶望の向こう側へ進むには 第10回、購入:楽天ブックス(みすず書房)、ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子訳):夜と霧 新版。

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絶望の向こう側へ進むには 【第0回】
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精神の自由



強制収容所という
支配された環境では
ほんとうに
どうしようもなかったのか。


フランクルは
その疑問に対し、
経験をふまえ、
理論にてらして
答えられる用意がある、
といっています。


『感情の消滅を克服し、
あるいは感情の暴走を
抑えていた人や、
最後に残された精神の自由、
つまり周囲はどうあれ
「わたし」を見失わなかった
英雄的な人の例は
ぽつぽつと見受けられた。
一見どうにもならない
極限状態でも、
やはりそういったことは
あったのだ。』
(夜と霧新版P110)


点呼場や居住棟のあいだで、
通りすがりに
思いやりのある言葉をかける。


なけなしのパンを譲る。


こういった例は
いくらでも語れると
いいます。


『人は強制収容所に
人間をぶちこんで
すべてを奪うことができるが、
たったひとつ、
あたえられた環境で
いかにふるまうかという、
人間としての最後の自由だけは
奪えない』
(夜と霧新版P110)


フランクルがあげる
3つの価値、


創造価値、
体験価値、
態度価値。


そのなかの


「態度価値」


がこれにあたります。


変えられない環境で
自分はどのような態度を取るのか。
どのような意志を持ち、
貫くのか。
大切なものに対し
どのような気持ちを持つのか。


人は環境に影響される生き物です。
これは人に限らず、
生物全体にも言えることですが、
そういった環境に対応しながら
生きていきます。


外側の影響は
内側にも影響を及ぼします。
人の内面です。
内面も影響を受け、
それに対応、反応します。


それが強制収容所では
感情消滅で心を守ろうとしたり、
中には心を維持するため
他のものを攻撃したり
する人もいるでしょう。


けれど、
そういった影響下で
流されそうになりながらも
対抗できる人もいる。
現実を認識し、
受け止めて、
心の中で対抗しようと
した人もいます。


外側の環境は
力のある人たちに
奪われたとしても
内側はやり方によっては
奪うことはできない。


これはその人の
意志しだいではありますが、
場合によっては
どんな力を持ってしても
奪うことはできず、
コントロールすることもできず、
自分だけのものであり、
内面の自由は
貫くことができます。


これは形のないものですから、
壊すことや
奪うことは
できないのです。


これはどんなに圧力をかけたって
消し去ることはできません。
消したように見えても
目に見えなくなっただけのことです。


話は少しずれますが、
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの
星の王子さまでも


「大切なものは、目に見えない」


といっています。
(星の王子さまが書かれていたのは
第二次世界大戦中です。)


愛や気持ち、意志など
形のない、
目の見えないものは
大切である、
という解釈ができます。


戦争という時代を経て
生まれた名著たちは
同じところに
たどり着いているように
見えます。



「心で見る」


というのは
変換しますと


「心で感じる」


とも言えるでしょう。


ただこれは
感情だけのことではなく、
総合的感覚というべきものです。


心というよりも
心や歩んできた人生を含めて、
人間全体で感じるもの、
と考えた方が
私にはしっくりときます。


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『内心の決断を迫る状況
また状況の連続だった。
人間の独自性、
つまり精神の自由など
いつでも奪えるのだと威嚇し、
自由も尊厳も放棄して
外的な条件に弄ばれる
たんなるモノとなりはて、
「典型的な」被収容者へと
焼き直されたほうが
身のためだと
誘惑する環境の
力の前にひざまずいて
堕落に甘んじるか、
あるいは拒否するか、
という決断だ。』


『人間はひとりひとり、
収容所に入れられた
自分がどのような
精神的存在になるかについて、
なんらかの決断を下せるのだ。
典型的な「被収容者」になるか、
あるいは収容所にいてもなお
人間として踏みとどまり、
おのれの尊厳を守る
人間になるかは、
自分自身が決めることなのだ。』
(夜と霧新版P111-112)


強制収容所という
特別な環境なのだから
収容所心理を正当化できるけれど、
人間の本性は
内心の決断の結果として
さまざま見えてくる、
といいます。


環境によって
人間を守るか、捨てるか。
その選択は
与えられていて
自分自身で決めること、
ということのようです。


実際に強制収容所という環境で
自分を貫いた人は
一部だけだったようですが、
本人次第では
自分を見失わず、
毅然とした態度で
人として生きることを
貫けるようです。



フランクルは
ドストエフスキーの言葉を
引用しています。


『かつてのドストエフスキーは
こう言った。
「わたしが恐れるのは
ただひとつ、
わたしがわたしの苦悩に
値しない人間になることだ」


~わたしは
わたしの「苦悩に値する」人間だ、
という言うことができるだろう。
まっとうに苦しむことは、
それだけでもう
精神的になにごとかを
なしとげることだ、
ということを証していた。
最期の瞬間まで
だれも奪うことのできない
人間の精神的自由は、
彼が最期の息をひきとるまで、
その生を意味深いものにした。』
(夜と霧新版P112)


苦しむことは
たいてい、避けようとします。
けれど、フランクルは
苦しむことに意味がある、
苦しむことも人生の一部、
といいます。


生きることに意味があるならば
苦しむことにも意味がある。


苦悩することは
「人間しての能力」
とフランクルは考えたようです。


苦悩するというのは
確かに人間独特の行為でしょう。


それは目の前の
問題や困難に対して
向き合っている、
それをどうしたらいいのか、
解決方法や乗り越え方を
考えています。


苦悩するということは
現状よりもより良くしたい、
と思っている証拠で
前に進もうと思っているからです。


苦悩という行為は
苦しいですので
ネガティブなイメージが
付きやすいですが、
それは人間本来の行為で、
それは人間として普通の行為である、
ということのようです。


苦悩してもいいのです。


ただ、ここでいう苦悩は
挑戦しようとする、
前に進もうとする、
人として生きようとする
何かのための苦悩、
誰かのための苦悩、
であって
世間の評価を気にしての悩みとは
別の話しです。


苦悩するときに
一番やっかいなのは
その苦悩の原因がわからないことです。


その意味や理由を知るには
苦悩と向き合うしかありません。
現実逃避では前に進めない問題です。


私は


「苦悩してもいい」


ということを知って
楽になりました。


続く。



【出典・参考】
夜と霧 新版 
池田香代子訳 ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房

NHKテレビテキスト 100分で名著
フランクル 夜と霧
諸富祥彦
NHK出版



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絶望の向こう側へ進むには 第11回

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