スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

絶望の向こう側へ進むには 第8回、購入:楽天ブックス(みすず書房)、ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子訳):夜と霧 新版。

20141221_145906.jpg


絶望の向こう側へ進むには 【第0回】
【第1回】 【第2回】 【第3回】 【第4回】
【第5回】 【第6回】 【第7回】



孤独への渇望



『もちろん、
群衆から離れることは
ときには必要だし、
また可能でもあった。
苦しみをともにする
仲間と四六時中群れて、
日常のこまごまとしたことを
つねにすべて共有していると、
この耐えざる強制的な集団から
いっときでいいから
逃れたいという、
あらがいがたい衝動が
わきおこることは、
よく知られていた事実だ。
ひとりになって
思いにふけりたいという、
心の底からの渇望、
ささやかな孤独に
包まれたいという渇望が
わきおこるのだ』
(夜と霧新版P84)


強制収容所で
常に集団として
行動し、
寝食を共にし、
一人になる機会が
ほとんどない状況。


孤独になりたい、
つまり一人になりたい
というのは
自分だけの自由が
欲しいということです。


運命共同体ともいえる
この集団。
その義務の世界から
抜け出して、
自分だけのために
時間を使う。
他者の意識からの
束縛から離れる。


ときには
ひとりになりたい、
という欲求は
誰にもあることでしょう。


フランクルは
毎日半ダースほど
死体が投げ込まれる
仮設テントがあって、
病棟での医師の仕事の手が
空(す)くと
いつもそこに行って
腰をおろした、
と言います。


かたわらにシラミだらけの
死体があることは
気にならず、
ひとりになれるその場所で
田舎の風景を眺め、
どこにいるかわからない
愛する妻を想い、
ひとりの時間をすごしていました。


人間というのは
なんとも不思議なもので
何らかの束縛、抑圧をされれば
自由を求め、
秩序の無い世界に
溺れそうになった時、
安定を求めます。


ひとりになりたかったり、
みんなでいたかったり。


自由については
心理学以外に
哲学、社会学、生物学などなど
様々な分野で
様々な考えがあります。


自由については
範囲が広すぎますので
孤独について
少し書いてみます。


20141221_145940.jpg


孤独というのは
そのジャンルや
文化によって
捉え方が違うようです。


哲学や文学の孤独。
様々な文化での孤独。
それぞれ違うようです。


日本の場合、
たいてい、
孤独という存在は
ネガティブなイメージです。


ひどい場合、
自殺まで
追い込んでしまいます。


ひとりになりたい、
というレベルを越えて
全てのつながりを失った
絶望のような状態と
言っていいでしょう。


孤独・孤立に対して
よくないイメージがあるのは
集団を重んじていた
日本の民族的、文化的な
側面があるでしょうけれど、
今回は触れません。



以下は
私の一例です。


昔の私にとっては
孤独は絶望であり、
寂しく、
辛く、苦しく、
心が寒く、
光を飲み込む闇であり、
泥沼のような存在でもありました。


もがき苦しむ世界です。


孤独はどこからやってきたのか。


それは自分の心です。


自分が生み出している
存在です。


もちろん、
この現象は
環境がきっかけだったり、
過去がきっかけだったり、
価値観がきっかけだったり、
孤独を生みだす
スイッチは
人それぞれですが、
私の場合は
希望やつながり、
可能性がまったくなくなった、
と自分で思ったとき、
心の中を
闇で覆っていました。


こうなってしまうと
なにもかも
受け付けない状態です。


もがいて、もがいて
苦しんで。
辛くて
心は悲鳴をあげています。
けれど、
その声はすべて闇の中に
吸い込まれていきます。
自暴自棄になりそうに
なりますが、
なんとか押さえます。


そういったことを
一通りやっていると
自分と向き合うことに
なります。


孤独は
唯一ひとりになれるとき、
と海外の著名な人が
言っていますけれど、
それどころじゃない、
と思っていました。


けれど、このことを思い出して、
自分と向き合ってみたんです。


自分はどういう考え方をしていたのか、
どういう価値観だったのか、
自分の過去との対話です。


そうしていると
すこし落ち着いてきました。


すこし孤独に
慣れたのかもしれません。


そのとき、
ある詩人の言葉を
思い出したんです。


アメリカの詩人
チャールズ・ブコウスキー(1920-1994)の
「孤独は贈り物だ」
という言葉。


この言葉に
しがみつきました。


孤独は贈り物なんだ、と
自分に言い聞かせ、
自分と向き合ったのです。


そうしているうちに
孤独は薄れていきました。


孤独という存在と
向き合うことができたのです。


その後、
私には孤独は
訪れていませんが、
また現れたら
そういう存在と受け止めて
付き合っていこうと
思っています。



孤独になったとき
危険なのは
ネガティブな感情を
どんどんと膨らませて
いってしまうことです。


自分の膨らませた
孤独で
限界がきて
心が窒息してしまう。
限界にきてしまう。


そこから抜け出す手段として
死を選ぶ場合も
出てきます。



チャールズ・ブコウスキーの
孤独の捉え方で
なにが助かったというと
孤独を
客観的に
捉えていることです。


そうすることで
孤独から離れることが
できたのです。


これは
海外の方々の
孤独に対する
考え方なのでしょうけれど、
私はそれで
助かったのです。



孤独は永遠の闇でもなく、
得体の知れない存在でもない。


むしろ、
自分と向き合える機会、
と捉えれれば
孤独で
死を選択する結果に
なることは
少なくなるかもしれません。


以上は
私の体験からくる
一例でした。



遺言の暗記



病院収容所行きの移送団が
編成されたとき、
これが
本当は労働させるための
引っかけなのか、
それともガス室行きなのか、
ほんとうに病院収容所行きなのか、
フランクルは
わかりませんでした。


医長は
フランクルに配慮して
この移送団から外すことも
できました。


けれど
フランクルは
「病気の仲間といっしょに行きます」
と言います。


そのことを
友人に話すと
友人は目に涙を浮かべます。
慰めます。


フランクルは
友人に遺言を口述で残します。
妻への気持ちを伝えます。
友人に無理やり暗記させました。


翌日、出発しましたが、
ガス室でも労働でもなく、
本当に病院収容所に
到着しました。


友人が残った収容所では
飢餓常態が悪化し、
収容所の最後の日々は
死体の山が消えて
鍋の中に出現していました。
人肉食が始まっていたのです。


フランクルはそのまえに
逃れることが
できました。


戦争で食糧がなくなり、
飢餓常態になると
人肉を食べる、
という話はときどき出てきます。


こういう話を読むと
拒否反応がいつも出ます。
心が受け付けず、
ちょっと気持ちが
落ち着きません。


けれど、
これも戦争の一面です。


続く。



【出典・参考】
夜と霧 新版 
池田香代子訳 ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房

NHKテレビテキスト 100分で名著
フランクル 夜と霧
諸富祥彦
NHK出版



【購入先】
夜と霧 新版
楽天ブックス

【購入先】
フランクル 夜と霧(NHKテレビテキスト)
M's EXPO(エムズエクスポ)
岩手県盛岡市みたけ3-36-1



絶望の向こう側へ進むには 第9回

検索フォーム
カテゴリリスト

各アイコンの説明。

カテゴリオープン
カテゴリクローズ
個別カテゴリ
全カテゴリオープン
全カテゴリクローズ

  • plus
  • minus
プロフィール

ウシポニ

Author:ウシポニ

岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

お知らせ、メモなど
  • 感想文の更新は終了いたしました。ブログの更新も2016年6月をもって終了いたしました。今後の更新はございません。今までありがとうございました。
最新記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。