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絶望の向こう側へ進むには 第5回、購入:楽天ブックス(みすず書房)、ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子訳):夜と霧 新版。

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絶望の向こう側へ進むには 第0回
絶望の向こう側へ進むには 第1回
絶望の向こう側へ進むには 第2回
絶望の向こう側へ進むには 第3回
絶望の向こう側へ進むには 第4回



被収容者の夢



『被収容者仲間のうち、
精神分析に関心のある
同業者たちのあいだでは、
収容者における
人間の「退行」、
つまり精神生活が
幼児並みになってしまうことが
よく話題になっていた。
この願望や野心の幼児性は、
被収容者の典型的な夢に
はっきりとあらわれた。』
(夜と霧新版P46)


被収容者が見る夢として、
パンの夢、
ケーキの夢、
煙草の夢、
気持ちのいい風呂の夢、
といった素朴な願望夢が
素朴な欲求をみたしていた、
と書かれています。


幼児退行というのは
心の防御機能の一種らしく、
現実的に解決できない
精神状態のとき、
精神内部だけで解決しようと
過去、幼児へと戻り、
幼児のときの欲求を
満たそうとすることらしいです。


お年寄りの方々にも
退行があらわれますが、
仕組みは同じなのでしょうか。
人生の輝いていたときに
戻ろうとするらしく、
徘徊の理由のひとつと
あげられているようです。


これらの共通点を探ってみますと、
現実を受け入れられない、
というところでしょうか。
心が拒否し、
現実逃避をしている。
防御機能が
動いているのでしょう。


パンを食べる、
という夢を見てしまうほど
食はひどかったようです。


被収容者の人びとの写真や
亡くなった方々の
体の写真を見れば
よくわかることですが、
骨は浮き出ていています。
皮と骨といった状態です。



飢 え



最後のころには、
1日1回、
ほんの小さなパンが
配給されるだけだったので、
それをどう食べるのが
いいとか悪いとか、
延々、議論した、といいます。


フランクルは、
すぐには食べず、
とっておく派だったようで、
陰惨(いんさん)なひととき、
かすかななぐさめとして、
取っておいたパンのかけらを
ポケットから出し、
それを一心不乱に
むさぼり食べたと
書かれています。
(※陰惨:暗くむごたらしい感じ)


大きなストレスの負荷が
かかるときに
それを乗り越えるため、
やわらげるために、
パンという
最大の楽しみを
取っておいたようです。


常に空腹な状態のときに
身体のことよりも
精神的なことのために
パンを残しておく、
というのは
精神と向き合うことを
仕事にしていた
フランクルらしい
対応に見えます。


ちょっとした心の持ち方で
明日の生死が
分かれてしまう環境において、
ネガティブなものを
ためこまず、
解消することは
大きいのかもしれません。


その日の行動にも
影響するでしょうし、
それが明日にも
影響するかもしれない。


小さなことが
積もり積もって
精神的破綻をきたすよりは
よいのでしょう。


ちいさな負担は
ちいさな対処で済みます。
小さな火事のほうが
消しやすいのと
同じではないでしょうか。


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性的なことがら



被収容者のほとんどは
性的な夢をみなかった、
と書いております。


栄養不足のため、
欲は食欲のほうに
押し出され、
性欲はきれいさっぱり
なくなったそうです。


食費をギリギリ切り詰めて
暮らしている人が
(前回出てきた人と
同じです。)
ネットで書いていたことですが、
性欲がなくなった、
という体験を
読んだことがあります。


よく3大欲として
食欲、性欲、睡眠欲が
出てきますけれど、
生理的欲求として
食欲、睡眠欲、排泄欲が
あるようです。


生理的欲求というのは
アブラハム・マズローが
(アメリカ1908-1970)
自己実現理論で
人間の欲求を5段階にわけた
その最下層にくる欲求です。


生命を維持するための欲求で、
身体維持の根本的なものです。
生物としての
基本的機能からくる欲求です。


身体は人間の意志や心とは別に
勝手に動いてくれています。
心臓だって、肺だって、
そのほかの内臓だって
体が勝手にやってくれているわけで、
それによって維持されています。
(脳科学はよくわかりませんが、
視床下部の部分でしょうか。)


身体は維持するために
欲というものを使って
行動を促します。
その基本的な欲求を
生理的欲求としているようです。
(心の脳と言われる
大脳辺縁系が
欲求の心を作るらしいです。)


性欲は
想像や妄想することが先で
過去の感覚的経験が
よみがえることによって
性欲は刺激されるようです。


泣くから悲しいのではなく、
悲しいから泣くのだ、
という仕組みと同じなのでしょうか。


性欲はまったくなくなりますが、
全身全霊をこめた
愛へのあこがれは
いやというほど
夢に出てきた、
と書かれています。


食べることや愛されることを求める、
というのは退行の影響と
考えていいのでしょうか。



非情ということ



『ほとんどの被収容者は、
風前の灯火(ともしび)のような
命を長らえさせる
という一点に
神経を集中せざるをえなかった。
原始的な本能は、
この至上の関心事に
役立たないすべてのことを
どうでもよくしてしまった。』
(夜と霧新版P52-53)


生きること、
生命を維持すること以外のことには
関心がなかったことが
書かれています。


フランクルは
アウシュヴィッツから
ダッハウ支所に移送されます。


アウシュヴィッツは
ポーランドにありますが、
ダッハウはドイツにあります。
アウシュヴィッツの滞在は
数日間だけでした。


フランクルが生きてこられた
最大の要因は
アウシュヴィッツに
数日間だけしか
いなかったことだと
言われているようです。


ポーランドのアウシュヴィッツから
ドイツのダッハウへ向かう途中、
オーストリアを通ります。
そこはフランクルの故郷です。


自分の命は長くて1、2週間だろうと
見積もっていたフランクルは
列車ののぞき窓から
ふるさとを見たいと
若者たちに頼むのですが


「そんなに長いこと住んでいたのか。
だったらもうさんざん見たろう」


と邪険に、半ば嘲笑ぎみに
却下されます。


徹底した非情さを
思い知ることになりました。


非情ということは
感情が喪失、枯渇
しているからでしょう。


感情が無くなるということは
相手の感情と
共感できなることを
意味しています。


自分の心にある
感情をもとに
相手の感情を推測し、
共感、共鳴します。
そこから行動が生まれるのだと
思うのですが、
自分に感情が喪失してしまったら
共感することは
できないことになります。


自分の生命を維持するために
必要と思われるもの以外は
切ってしまっている
状態なのですから
自分の事以外は
考えられない状態に
なってしまっている、
ということになるでしょう。



確かアダム・スミスの
「道徳感情論」
でも共感をあげていたのを
思い出しました。


過去のブログを
読み返してみますと、
気になる部分が
あります。


「幸福とは心の平静と楽しみである。
もし社会の経済発展の成果が
大衆の手に正しく分け与えられないならば
道義上人心を得られず
それは社会の安定に脅威をもたらすのである。」


何かを虐げたり、
自由を奪うことで
その利益が成り立っているのでしたら
その反動は
いずれやってきます。



自分の利益だけを
追求することと
強制収容所での
自分の生命のことだけに
専念すること。


なにか
似たようなものが
潜んでいそうです。


人間という生物は
集団で生きることを前提に
成り立っていることを
忘れてはならないでしょう。


続く。



【出典・参考】
夜と霧 新版 
池田香代子訳 ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房

NHKテレビテキスト 100分で名著
フランクル 夜と霧
諸富祥彦
NHK出版



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絶望の向こう側へ進むには 第6回

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岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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