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絶望の向こう側へ進むには 第2回、購入:楽天ブックス(みすず書房)、ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子訳):夜と霧 新版。

20141221_145906.jpg


絶望の向こう側へ進むには 第0回
絶望の向こう側へ進むには 第1回


第1段階 収容


『強制収容所で
自分や他人の人びとを
観察してえた
おびただしい資料、
つまりそこでの体験の
すべてをまず整理し、
おおまかに分類すると、
収容所生活への
被収容者の心の反応は
三段階に分かれる。
それは、
施設に収容される段階、
まさに収容所生活
そのものの段階、
そして収容所からの
出所ないし解放の段階だ。』
(夜と霧新版P11)


本書は


第1段階 収容
第2段階 収容所生活
第3段階 収容所から解放されて


と3つの章にわけて
心の変化を書いています。



アウシュヴィッツ駅


ここでは
貨車で移送され、
アウシュヴィッツ駅に
到着されたときのことが
書かれています。


アウシュヴィッツと聞けば
貨車に乗っていた人達は
ガス室、焼却炉、大量殺りくを
思い浮かべ、
心臓が止まりそうになり、
恐怖を想像しました。


そのとき、
貨車の扉が引き開けられ、
縞(しま)模様の服を着た被収容者が
乗りこんできました。


その被収容者たちは
栄養状態良好で
そろって陽気。


処分されるかもしれないと
想像していたけれど
その想像を裏切るような
元気な姿の被収容者が現れ、
その姿を見て
この事実にしがみついたといいます。


精神医学では、
恩赦(おんしゃ)妄想という
病像があるようで、
死刑を宣告されたものが
土壇場になって
自分は恩赦される、という
空想をする。


それと同じように
フランクルたちは
妄想にしがみつきました。


実は彼らは「エリート」。
アウシュヴィッツ駅に
着いた人々を出迎えるために
選ばれた人たちで
貴重品や日用品を
取りあげることをが
目的でした。


このあたりは
ナチス系の映画でも
描かれていたのを
思い出します。


移送されてきた人達の
荷物が山のように積み重なり、
そこから貴金属や宝石を
取り出していました。


20141221_145940.jpg


恩赦妄想。
これは希望に
しがみつくのではなく、
妄想にしがみつきます。


と書いてみたものの、
希望と妄想の違いは
何でしょうか。


どちらも
頭の中にあります。


イメージですと
希望のほうが
しっかりしているイメージで
妄想は
かたちがしっかりしていない
方向性もあちらこちらと
自分の好きなように
都合のいいように
より現実から離れているような
印象です。


ネットで調べてみますと
妄想は


「非合理的かつ
訂正不能な思いこみのこと。」


希望は


「好ましい事物の
実現を望むこと。」


と書いてありましたが、
簡単に書くと


妄想=手のつけられない思い込み


希望=可能性


ということになるでしょう。


妄想は、そのこと自体が
妄想であるということを
認識していない場合が
多いそうです。


現実を見ない、
受け止めない、受けれ入れない
という
現実無視による
空想ということに
なります。


ただ、こうやって
あらためて考えてみると
実は線引きが
あいまいなところも
あるでしょう。


常識からして
妄想と言われていたことが
実は新しい技術や
新しい考え方だった
なんてこともありそうですし、
よくわからないことを
している人を
ひとくくりにして
妄想という、
偏見した扱いも
出てくるでしょう。


希望は
現実を受け止めたうえで
進む方向性があり、
妄想よりも
しっかりとしています。



被収容者は
小規模収容所へと
さらに移送されます。


『1,100人の被収容者が
小規模収容所へとさらに
移送されることになり、
その直前、
たった1棟の収容棟
(思うに定員はせいぜい200人)の
むき出しの土間に、
寒さに震え、
空腹にさいなまれながら、
うずくまったり
立ったりしていたことがある
――全員が坐るだけの
ゆとりはなかったのだ。


~4日間でパンをたった一切れ
(およそ150g)しか
あてがわれていなかった~』
(夜と霧新版P15)


ひとつの建物に
満員電車のように
ぎっしりと
詰められて
寒さと空腹に
耐えながら
4日間。


自分を維持するだけで
精一杯。


そのときの苦痛や
精神的な状態を
想像しようにも
私の立場では
想像することが難しいです。


最初の段階で
この扱いなのですから。


奴隷扱いとは
こういうことなのでしょうか。



最初の選別



移送された人びとは
親衛隊の高級将校の前へと歩きます。


『男は心ここにあらず
という態度で立ち、
右肘を左手でささえて
右手をかかげ、
人差し指をごく控え目に
ほんのわずか
――こちらから見て、
あるときは左に、
またあるときは右に、
しかしたいていは
左に――動かした……。


~夜になって、
わたしたちは人差し指の
動きの意味を知った。


~移送団のほとんど、
およそ90パーセントにとっては
死の宣告だった。


~左にやられた者は、
~直接、焼却炉のある建物まで
歩いていった。』
(夜と霧新版P17-18)


『~数百メートル離れた
煙突を指さした。


~「あそこから
お友達が天に昇って
いってるところだ」
露骨な答えが返ってきた』
(夜と霧新版P19)


労働力としての
選別でした。


人差し指が
右に向くのか
左に向くのか。


それは
労働力か
処分か。


将校の一瞬の判断で
作業的に
生死が決められて
いたようです。


人としては扱わず、
家畜の選別をするような感じで
労働力としての価値はあるのか、
判断しています。


戦時の日本は
どちらかというと
感情面が優先していましたが、
ナチスのほうは
冷徹的で
人が本来持つ心は
停止した状態です。


そうしないと、
やっていけないのでしょう。
あるいは、そうなってしまうのか。
毎日するルーチンワークのような
仕事をするように
目の前の作業をいかにこなすか。


人はいかようにも
変化する生き物のようです。



『最初の淘汰に残った
わたしたちには、
すくなくとも
ほんものの入浴が待っていた。


わたしたちの
恩赦妄想はさらに
恰好の餌をあたえられた。
親衛隊員が
やけに親切に見えたのだ!


~だれもがひそかに考えた。
どうせなくなる物は
なくなるのだ、
このわりと親切なやつが
時計をひとつ着服したって、
どうってことないだろう?
こいつがなにかの折りに
便宜をはかってくれるかも
しれないじゃないか。』
(夜と霧新版P20)


実際には
便宜をはかってくれることなんて
ないわけですが、
自分の都合のいいほうに
考えてしまう。
絶望的な環境であればあるほど
非現実的な何の根拠もないものに
しがみついてしまう。


現実逃避と同じ仕組みでしょうか。


現実を見ず、受け入れず、
妄想世界を頭の中で作り、
何とかなると思いこむ。


アウシュヴィッツに来て
現状を把握できない状態で
受け入れることなんて
できないと思いますが、
恩赦妄想は
心を守るために
働く心理なのでしょう。



今、頭の中でうごめいているものは
希望なのか妄想なのか、
思考なのか妄想なのか。
その区別ができなければ
危ういということです。


あとに読み進めれば
わかると思いますが、
こういった妄想するような
精神状態では
強制収容所を
生き抜くことはできないようです。


私は
妄想しているつもりは
ありませんけれど、
本当のところ、
どうなのでしょうか。



妄想はこれはこれで
楽しいです。
昔はあったように
思います。
自分の都合のいい世界で
構成されているのですから。


妄想という
自ら生み出した殻の世界に
閉じこもっていれば
心は傷つかないのです。


続く。


(妄想の種類によっては
心に負担のあるものもあります。)



【出典・参考】
夜と霧 新版 
池田香代子訳 ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房

NHKテレビテキスト 100分で名著
フランクル 夜と霧
諸富祥彦
NHK出版



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フランクル 夜と霧(NHKテレビテキスト)
M's EXPO(エムズエクスポ)
岩手県盛岡市みたけ3-36-1



絶望の向こう側へ進むには 第3回

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Author:ウシポニ

岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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