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絶望の向こう側へ進むには 第1回、購入:楽天ブックス(みすず書房)、ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子訳):夜と霧 新版。

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絶望の向こう側へ進むには 第0回


心理学者、
強制収容所を体験する
(まえがき部分)


『これは事実の報告ではない。
体験記だ。
ここに語られるのは、
何百万人が何百万通りに
味わった経験、
生身(なまみ)の体験者の
立場にたって
「内側から見た」
強制収容所である。
だから、
壮大な地獄絵図は
描かれてない。
それはこれまでにも
いくたびとなく描かれてきた。
そうではなく、
わたしはおびただしい
小さな苦しみを
描写しようと思う。』
(夜と霧新版P1)



最初に書かれている文章です。


ナチスを題材したものは
たいてい、
ナチス側の様々な
非人道的な行為が
描かれる場合が多く、
そういった行為を中心に、
対比させるように
被害側が描かれ、
残虐さを強調するような
描かれ方がされます。
映画の場合は、
メリハリを強調する必要が
出てきますし、
興業収入などの
ビジネス面も
考えなければならず
映画として
いろいろと
演出が加えられます。


そういった
派手さを強調したものではなく、
強制収容所の日々の苦しみが
体験者の視点から
描かれています。


私はナチスを知る機会というのは
圧倒的に映画で、
それ以外で
情報に触れることは
ほとんどありません。
(やはり、こう考えると
映画という存在は
大きいと言えます。)


たいていの日本人も
そうでしょう。
若い世代は
もしかしたら、
ナチスの存在すら知らない
という人達もいるでしょう。


前回の昭和史にも
書いたのですが、
私自身、
歴史には興味がありませんでしたし、
戦争に目を向ける機会も
ありませんでした。


ですから、
フランクルが書いた本の一部を
翻訳したこの本が
はじめて、ナチスに関する書籍を
手にしたということになります。
(映画「シンドラーのリスト」を
小説にしたものなら
本屋で買った記憶はあるのですが、
それ以外はありません)


強制収容所の日々の苦しみが
書かれている本書は
被収容者の姿が生々しく感じられ、
今まで観てきた
ナチス系のどの映画よりも
被収容者の苦悩を
より近くに感じられ、
知ることができました。


カポー(またはカポ)という存在が
本書で出てきますが、
これはナチス親衛隊員、
収容所監視兵とは違い、
その下部組織で
被収容者の中から選ばれます。
被収容者を監督するのです。



『カポーが収容所監視兵よりも
「きびしかった」こと、
ふつうの被収容者をよりいっそう
意地悪く痛めつけたことは
ざらだった。
たとえば、カポーはよく殴った。
親衛隊員でもあれほど
殴りはしなかった。
一般の被収容者のなかから、
そのような適正のある者が
カポーとなり、
はかばかしく「協力」しなければ
すぐに解任された。』
(夜と霧新版P2)
(はかばかしく:
物事が望ましい方向へ進むこと。)


『カポーは劣悪な者から選ばれた。
この任務に耐えるのは、
~もっとも残酷な人間だけだった。』
(夜と霧新版P5)



被収容者にとって
ナチス親衛隊員、
収容所監視兵よりも
カポーのほうが
身近な監督者であるから
本書ではよく出てきます。
映画では知ることのできない
一面です。



海外の刑務所を描いた映画では
タバコが
所内での通貨の役割を
果たす場合が多いですが、
強制収容所でも
同じような役割を
果たしていたようです。


フランクルは
タバコ12本手に入れました。
強制収容所では
これは12杯のスープを
意味していて、
2週間は餓死の危険から
命を守ることを意味します。


タバコを吸い始めることは
食糧交換を断念し、
それは生きることを断念したと
同じことになります。
そういう人は
生き続けられなかったようです。


こういった
日々の行動を観察し
被収容者の心理を推測し、
書かれています。


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この章の最後に
この本を書く上で
自分の立場を書いています。



『心理学は、
学問的な距離をとれ、
と要請する。


~部外者は距離をとっていた。
ただし、とりすぎていた。
経験の激流から
遠く離れていた部外者は、
妥当なことを
言える立場にはない。


「まっただなか」にいた者は、
完全に客観的な
判断をくだすには、
たぶん距離がなさすぎるだろう。


~もちろん、
みずから経験した者の物差しは
ゆがんでいるかもしれない。
~このことを
度外視するわけにはいかない。


~このような
心理的探求のほんとうの危険は、
それが個人的な調子を
おびることではなく、
かたよった色合いを
おびることにあるからだ。


そこで、わたしが
ここに書いたことを今一度、
こんどは
没個人的なものにまで
蒸留し、
ここにわたしが差し出す経験の
主観的な妙録を
客観的な理論へと
結晶させることは、
安んじてほかの人びとの
手にゆだねようと思う。』
(夜と霧新版P8-9)



自分の状態を把握したうえで
学者らしい冷静さと
読み手のことを考えて
書かれていることが
読みとれます。
単なる、
記録や知識の
羅列ではありません。
伝えるために
書かれています。


この章の最後には以下のように
書かれています。
覚悟が伝わります。
1945年4月に解放されたあと、
1946年に出版しているのです。



『わたしは事実のために、
名前を消すことを断念した。
そして自分を晒(さら)け出す恥をのりこえ、
勇気をふるって告白した。
いわばわたしは
自身を売り渡したのだ。』
(夜と霧新版P10)



続く。


次回から本章へと入ります。



【出典・参考】
夜と霧 新版 
池田香代子訳 ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房

NHKテレビテキスト 100分で名著
フランクル 夜と霧
諸富祥彦
NHK出版



【購入先】
夜と霧 新版
楽天ブックス

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フランクル 夜と霧(NHKテレビテキスト)
M's EXPO(エムズエクスポ)
岩手県盛岡市みたけ3-36-1



絶望の向こう側へ進むには 第2回


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岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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