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日本人は調子に乗るとダメになるらしい第30回、購入:ネットオフ、半藤一利:昭和史1945-1989戦後編。

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【昭和史1926-1945】

日本人は調子に乗るとダメになるらしい【第0回】

【第1回】 【第2回】 【第3回】 【第4回】

【第5回】 【第6回】 【第7回】 【第8回】

【第 9 回】 【第10回】 【第11回】

【第12回】 【第13回】 【第14回】

【第15回】 【第16回】 【第17回】



【昭和史1945-1989戦後編】

【第18回】 【第19回】 【第20回】

【第21回】 【第22回】 【第23回】

【第24回】 【第25回】 【第26回】

【第27回】 【第28回】 【第29回】


昭和史の内容の復習と
感想を書いています。
参考・出典はほとんど
昭和史1945-1989戦後編
半藤一利
平凡社です。


第12章
もはや戦後ではない


昭和30年(1955)2月に
総選挙が行われ、
そこで鳩山さんが公約として
押し出したのが、
憲法改正・再軍備、
そして対共産圏外交でした。


今までのように
アメリカの言う通りに
対共産圏とは
外交しないというのではなく、
われわれは独立国家なのだから、
日本の自主的な
外交政策として
共産圏ともつきあおうと
いうんですね。


社会党は猛反対します。
改憲問題もからんで、
選挙は大変な争いに
なりました。


圧勝こそできませんでしたが、
昭和30年3月19日
継続して
第2次鳩山内閣がスタートします。


鳩山さんは、
自分の任期中に対共産圏、
とりわけソ連と
なんとか交渉の窓口を
あけたいと考えていました。


昭和30年8月6日
広島ではじめての
原水爆禁止世界大会が
開かれます。


また、米軍基地反対闘争が
各地で起こり、
同じ年の7月には、
東京・立川基地拡張に関して、
地元の砂川で闘争が
はじまりました。


そんなふうに鳩山内閣のもとの
昭和31年頃までは、
しばしば流血の紛争事件が起こり、
それには平和に対する
国民の強い希望が
注ぎ込まれました。


こうしてどんどん強まる
平和運動は同時に、
裏を返せば
憲法を護ろう、
との護憲運動にも
つながっていきます。


鳩山さんは
憲法調査会法案、
国防会議の構成等に関する法律案を
議会に提出しますが、
社会党と激突して
大揉めして
ずいぶん時間を費やした結果、
審議未了で廃案に
なってしまいます。


このことが、
保守合同への道に
つながるわけです。


昭和30年11月22日
保守合同の結果、
圧倒的多数の与党となって
第3次鳩山内閣が発足します。


自民党は3分の2を
獲得せんばかりの
勢いではありましたが、
やはり平和思想が強まる中、
革新政党が3分の1を
越えていました。


そこで1つの選挙区で
4、5人も当選する
中選挙区制ではなく、
自民党が3分の2を獲得するには、
小選挙区制が必要だと
思いついたのです。


しかし、
社会党、新聞雑誌のマスコミ、
与党の議員の中にも反対者が
続々出てきました。
これも時間切れで廃案となります。



対共産圏外交は
平和条約の締結までは
無理でしたが、
日ソ国交共同宣言に合意します。


この結果、
日本は独自の力を
世界で認められたと言いますか、
2ヶ月後の
昭和31年12月、
晴れて国際連合に加盟することが
できました。


鳩山さんは帰国と同時に、
この成果を花道として
退陣を表明しました。
病気のこともあったでしょう、
ともかく自分の内閣として
やろうとしたことを
達成できたので
退陣すると言ったのです。


人気のあるうちに
自分で意志に従って
お辞めになったケースは、
野垂れ死にが多い
これまでの首相のなかにあって、
この方だけじゃないでしょうか。


小泉さんも9月に辞めれば、
世論の後押しがあるのに
自らの意志で
退陣する珍しい首相になるかと
思わないでもないんですが、
さてどうでしょう。
(小泉さんは2006年9月26日退任。
半藤さんがこの話しをされているのは
2005年11月か12月だと推測されます。
本書の初版は2006年4月12日)


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昭和31年(1956)夏
「もはや戦後ではない」
という言葉が盛んに
言われはじめました。


昭和31年(1956)12月23日
石橋内閣がスタートします。
石橋さんは経済畑の専門家ですから、
鳩山さんのように
憲法改正など打ち出さず、
日本の経済を
しっかりさせようというので
池田勇人を蔵相に就任させ、
石橋・池田コンビの
「積極財政」で
日本をガンガン復興させることを
政策の目玉にしました。


けれど、
張り切り過ぎたせいか、
過労で倒れちゃったんです。


わずか63日間で終わります。
そのあとを
自民党両議院総会では
当然のごとく、
首相臨時代理を務めていた
岸信介さんを首班に選任します。


昭和32年(1957)2月25日
岸さんは総理大臣になりました。


昭和33年(1957)4月
社会党の御大将である
鈴木茂三郎(もさぶろう)さんとの会談で
「話し合い解散」を決めました。
やはりここで解散して
国民の信を問うことは
必要だったと思います。


鳩山さん時代の
昭和30年(1955)2月に
総選挙をして以来、
保守系も革新系も大合同をして
政界のかたちがずいぶん変わり、
鳩山、石橋、岸さんと
内閣が交代したにもかかわらず
一度も総選挙を
していなかったからです。


昭和33年(1957)5月、
総選挙が実施されました。
結果は、
自民党287人
社会党166人
共産党1人
諸派・無所属13人。
解散時よりほんのちょっと、
はっきり言えば
1人増えただけでした。
「第二次岸内閣といえば安保改正」
となるのです。


安保条約改定への
動きをはじめれば
当然反対勢力が
カッカしますから、
その前に反政府運動を
徹底的に押さえ込もうと、
日教組への攻撃を開始したのです。


いわゆる「勤務評定問題」です。
だめな教師を
即座に追い出すわけには
いかないでしょうが、
ともかく先生方を一人ひとり
勤務評定しようという。
さらに道徳教育の実施を
促進するといいます。


猛反対の日教組が
9月15日に勤評反対全国統一行動を
起こすと、
これが父兄を巻き込んで
大騒ぎとなり、
教育問題が先鋭な
政治問題と化してしまいました。


その混乱のさめやらぬうちに
今度は「警職法」です。


昭和33年(1957)10月8日
警視官職務執行法の
改定案が提出されました。


怪しいと思う人の所持品を調べ、
危険に見える奴には
保護措置を取り、
土地や建物に立ち入り、
何でも警告制止措置を
取ることができる、
おまわりさんの権限が
大幅に強化する内容でした。


安保改定の折に起こるだろう
反対運動に備え、
秩序を維持する必要のため、
そして万一の時には
警察の力を借りて
押し切るための措置だと、
岸さんは自分で回想を書いています。


これには国民はびっくり、
国会も大混乱です。
結果的に法案は撤回となりました。



ここまで読んでみますと、
鳩山さん、石橋さん、岸さん
のことが書かれています。


日ソ国交共同宣言により、
ソ連と交渉の窓口をつくります。
独自の外交が認められ
国際連合に加盟します。


日本は占領政策で
貿易国家として、
対共産圏の防波堤と
なっていたのですが、
共産圏との対話を
自らの意志によって行った、
切り開いたというのは
今の時代から見ると
なんとも昭和の力強さが
感じられます。


経済が上向きという
時代背景もあるからでしょう。
経済対策よりも
ほかのことに
集中することが
出来たからではないでしょうか。



まわりを安定させることは
実に重要なことです。
対立しても
お互いに何の利益もありません。


世界に安定した地域が
あるというのは
それだけでずいぶんと違うものです。


現在、世界はどうも不安定で、
変化の時代と捉えることも
できるかもしれませんが、
ここでアジアが安定しておかないと
世界は混沌とした時代が
やってくる可能性もあります。


友好関係をつくるほうが
国家としての成長は
よくなりますし、
欠点もカバーし合えます。


アジアは世界の人口の半分です。
そこが安定するということは
それだけでもすごいことです。


そのきっかけを
いま作ろうとしているのです。


個人間では
コミュニケーション力が
注目されていますけれど、
それは国同士でも同じことです。
コミュニケーションを
丁寧に出来る国が
これからは
のびていくのでは
ないでしょうか。


押し付けるだけでは
無理でしょう。
相手を理解しようとしない国も
無理でしょう。
お互いの利益がなんなのか、
お互いの文化や価値観がなんなのか、
そういった相互理解を
しようとしない国は
難しい立場におかれるでしょう。


勝ち負けに
いつまでもこだわっていては
なかなか前に進まないのでは
ないでしょうか。



教育というのは
どうやらひとつの流れなのかも
しれません。


企業が学生のところへ行き、
実際に使っている
考え方、やり方など
現場で使えるもの、
実社会で使えるもの、
そういった
「実学」を教えています。


そうすることで
学生側は
社会や実務のノウハウを学ぶことができ、
企業側は
ファンを作ることができます。
広告の効果があるということです。
ファンを作ることは
口コミ効果もありますし、
その業界の裾野を広げることに
つながるかもしれません。
将来、就職してくれるかもしれません。


昔、アメリカが日本の給食に
パンを普及させたことを
思い出してしまいました。
それにより、
日本にパンが普及し、
小麦を輸入されるように
なりました。


文化や価値観、考え方を
相手に理解してもらうこと。
それによりファンを作ることは
効果的な手法のひとつです。


ただ、ここで注意したいのは、
相手の価値観を
排除することではないこと。
共存することがのぞましいです。



これからの企業は
教育する力を持った企業が
選ばれていくのでしょう。


それは
人を大事にする企業
ということです。


教えるというのは
教える側も学ぶことになります。
本当に理解していることが
必要になりますし、
アウトプットすることは
理解度の確認にもなります。


相手に理解できるように
どのように伝えたらよいのか、
教える相手は
どのような理解をしているのか、
なにが苦手で何が得意なのか
どのような性格で、
どのような特徴があるのか。
その特徴を理解して
どのように対応したらよいのか。
現在、どこがわかっていて、
どこがわからないのか。
どういった過程で
育てたらいいのか。
などなど。


教える側にも
成長する機会、学ぶ機会が
たくさんあります。
コミュニケーション力を
のばすことができます。



相手に与えることができること。



そういったことが
ひとつの流れとして
あるようです。


続く。



【参考・出典】
昭和史1945-1989戦後編
半藤一利
平凡社



【購入先】
ネットオフ
http://www.netoff.co.jp/index.jsp



日本人は調子に乗るとダメになるらしい第31回

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