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日本人は調子に乗るとダメになるらしい第24回、購入:ネットオフ、半藤一利:昭和史1945-1989戦後編。

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【昭和史1926-1945】

日本人は調子に乗るとダメになるらしい【第0回】

【第1回】 【第2回】 【第3回】 【第4回】

【第5回】 【第6回】 【第7回】 【第8回】

【第 9 回】 【第10回】 【第11回】

【第12回】 【第13回】 【第14回】

【第15回】 【第16回】 【第17回】



【昭和史1945-1989戦後編】

【第18回】 【第19回】 【第20回】

【第21回】 【第22回】 【第23回】


昭和史の内容の復習と
感想を書いています。
参考・出典はほとんど
昭和史1945-1989戦後編
半藤一利
平凡社です。


第六章
「東京裁判」
の判決が下りるまで


東京裁判は
昭和21年(1946)5月3日に開廷し、
昭和23年11月12日の判決まで、
市ヶ谷の現在は自衛隊がある
当時の陸軍省講堂で
行われました。


東京裁判の中身に入る前に、
日本や世界で
どのようなことが起こっていたかを、
大ざっぱに見ておくことにします。



昭和21年3月5日
イギリス首相チャーチルが
「鉄のカーテン」
という言葉が世界的に
有名になった演説をしました。


ソ連邦が東欧諸国を
次から次へと押さえて共産化し、
まさにヨーロッパが
真っ二つに割れ、
東側つまりソ連側からは
一切の情報が出てこなくなった。
ソ連ならびにその衛星諸国とは
真っ向から対立しはじめた、
というのです。


いわゆる「冷戦」の言葉で象徴される、
東西が本格的に正面から対立して
世界を動かしていく
態勢がはじまったのです。


一方、日本では、
共産党が急激に勢いを増し、
今にも革命が
起きるんじゃないかという
雰囲気でした。


新憲法が施行される前日の5月2日、
マッカーサーは吉田茂首相宛に
書簡を送り、
5月3日以後の国会、最高裁判所、
首相官邸、皇居に国旗を
掲げることを無期限に許す、
と伝えました。
敗戦以来、占領下の日本は
日の丸を掲げることは
なかったのです。
日本領土内に無制限に
日の丸を掲げてよいことになったのは、
昭和24年(1949)1月1日からです。


こうして、一方では日の丸の
掲揚を許可し、
他方では社会主義の人民政府成立かと
という動きを制止する、
というふうに、
このへんからGHQの方針が
ちょっとずつ、
以前のように
ひたすら民主化を叫んで
過去の日本を壊してゆくやり方からは
変わってきていました。


昭和23年(1948)5月14日
イスラエルが建国します。
中東にイスラエルとアラブという
火種が生まれます。


昭和23年(1948)6月24日
ドイツのかつての首都ベルリンは、
ヤルタ会談やポツダム会談で
ドイツをソ連、アメリカ、
イギリス、フランスの4国が
分割統治することが決まって
4等分されたうち、
ソ連圏内にポツンと
孤立して入っていました。
しかもそのベルリンそのものも
英米ソ仏の4つに分けられ、
はじめこそ、全体を管理する
管理委員会の統治のもと、
連合国は仲良くやっていて、
互いに自由に交通できました。
ところが1946年の
ベルリン市長選挙で
西側の候補が当選すると、
ソ連はこれを非常に重要視して、
4ヵ国で構成していた
管理委員会から脱退し、
自分たちだけで
東ベルリンを支配すると
主張しました。
こうして6月24日、
突然ベルリンは東西に分割され、
自由な行き来もできなくなる。
周囲がドーンと
ソ連軍によって封鎖され、
完全にソ連圏の中に
ベルリンは
孤立してしまったのです。



このように、
日本で東京裁判が
行われている時に、
世界情勢は激しく動き出し、
ソ連とアメリカを中心とする
西欧諸国との対立、
抗争が大戦争の
一歩手前になるほど
激しくなっていったのです。


これはGHQにとっては
何を意味するのか


日本国内で革命の機運がある折、
占領政策をこれまでのように
頭ごなしにやり続け、
もし日本が社会主義国家を
志向するようになったら
大変じゃないか、
という懸念が生まれたのです。


日本人を怒らせ
共産圏側に
走らせるようなことが
あったら大変です。


こういった背景のもとでの
東京裁判でした。


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裁判は
昭和21年(1946)5月3日に開廷し、
昭和23年(1948)11月12日に
判決が下るまで、
途中、夏休みがあったり、
昭和23年の春から秋にかけて
判決文を書くために
休廷しましたから、
2年6カ月と言いましても、
正味2年間
行われたことになります。


A級は
「侵略戦争を計画し、
あるいは指導した者、
ならびに
戦争を防止しなかった者」


B級は
「国際条約あるいは慣行に違反し、
俘虜または住民を
虐殺または虐待した
事件の直接または間接の
責任者たりしため戦犯になった者」


C級は
「B級の事件の直接
下手人たりしため戦犯になった者」


ところが実際は、
B級は全部、
C級と同じようなものでもあるので、
「BC級戦犯」
と言っていっしょに裁判されました。


東京裁判とは何であったか
を考えてみますと、
次の3つが挙げられると思います、と
著者の半藤さんは書かれています。


1、日本の現代史を裁く
連合国が日本を相手に戦争をし、
連合国側はすべての
「正義」があるのだ、
ということを
確認するための裁判であった、
と私は思うのです。
自分たちの側にこれまでの人類の
歴史に合致する真理があり、
自らの側に人道的なモラルがあった、
また20世紀においては
日本人が考えるような
侵略性をもつ戦争は正しくない、
ということを
証明する裁判だったのではないか。
つまり、日本の現代史を
徹底的に裁くという
眼目がまずあったのです。


2、復讐の儀式
勝ったとはいえ、
連合国でもたくさんの国民が
亡くなりました。
その死が無駄ではなかった
ということを、
自国民に納得させるための
一種の復讐の儀式だったと
思わざるをえません。
弁護団は、
勝者だけが裁判をするのは
おかしいではないか、
国家行為であり
個人の責任ではない、
事後法的な性格も間違っている、
これらの主張は
すべて払いのけました。


3、日本国民への啓蒙強化の目的
とにかく戦争中の
言論封鎖で何も具体的なことを
知らされていない日本人に
片っ端から日本軍国主義の罪状を
明らかにし、
しかしその責任は
お前たち日本国民にはない、
だから責任は問わない、
したがって犯罪的軍閥だけを
対象にしたんですよ、
と示すことで、
日本国民を大いに啓蒙し、
よき民主主義国家の
人民になるよう導く、
という意味があったと思います。


訴訟の最大の焦点は
共同謀議です。
外国の世論などは
天皇の戦争責任については
厳しいものでした。
けれどすでに
天皇はセーフ、
裁判にかけない、
戦争責任は追及しない、
と決まっていました。
途中、蒸し返されますが、
国際検事局の
ジョセフ・キーナン首席検事は
「天皇は追訴せず」
の声明を発表しました。


共同謀議というのは
実にあやふななものでしたが
結果的には
「犯罪的軍閥である
陸軍の大陰謀」
という定義のもと、
これに乗っかった軍政の将官たち、
海軍や外交官は
その外側にいた
という構図になったのです。


そしてよく調べていくと、
戦後盛んに言われた
日本の無責任体制そのもの
といいますか、
実際に日本の政戦略は
どこにも責任がない、
果たして誰が真の責任者なのか
わからないかたちで
決められていったのです。
しょうがないので
日本の犯罪的軍閥は
「侵略」という意識をもたずに
侵略したのだ、
なんてことで
片付けられました。


首相も閣僚も軍事指導者も
ちょこちょこと変わってきた日本は
戦争にもっていくのに
誰が首謀者になって
大陰謀を企てたのか、となると、
該当するような人はいませんでした。


ともかく昭和23年1月に判決が出て、
東京裁判は終わります。
そうしますと、アメリカの占領政策は
ガラッと変わります。
簡単に言えば
チャーチルの演説でいう
「鉄のカーテン」が下り、
ベルリン封鎖、
空輸作戦と、
ヨーロッパではソ連とアメリカの
対立が深刻化し、
その冷戦状態がアジアにも
及んできます。
また中国では
共産党軍と国府軍との内戦が拡大し、
同時にソ連が
アジア大陸にどんどん進出し、
北朝鮮が共産主義国家として
成立するというかたちで、
冷戦が激しく強く厳しく
世界を覆ってきたのです。
これを受けて
昭和23年いっぱいまでの
GHQの方針は、
翌24年から一転したのです。



ここまで読んでみますと、
東京裁判と
そのときの世界背景が書かれています。
本書では他の章よりも
ページ数を多く使い
書かれておりますので、
興味ある方は本書をお読みください。


不可解な部分が
あるようですが、
すでに終わり、結果が出た
国際裁判について
あれこれと詳しく
書くつもりはありません。



日本の戦争というは
その場所を守るために前へ進む、
さらにその場所を守るために
さらに前に進むと
守るために前に進みました。


攻められた側からすれば
侵略戦争ですが、
日本側からしたら
そいういった意識よりは
自衛のための意識が最初にあり、
勝つに従って
調子に乗り始め
守るためという理由のもと
虚栄心を満たすための
認められたいがための
戦争であり、
終盤は自分たちの失敗を
ひたすら隠すために
泥沼化していきました。


無責任的で、
感情的な行為でしたから
無計画もいいところで
場当たり的です。


そのような
感覚的価値観は
欧米の人たちからしたら
今までにないものですから
わからないでしょう。
壮大な思想や理由があって
そのために計画的に
やったに違いないという
理論的な欧米の価値観で
行った東京裁判の基準では
合うわけがありません。


ですが、
日本にやった行為に
罪がないわけではありません。



東京裁判について
半藤さんは
考えを書かれていますが、
簡単に言ってしまうと、


戦争の正当性をつけること。
戦争の区切りをつけること。


これをやらないと
先に進めなかった、
ということでしょう。



今まで日本は
責任と向き合ってこなかった
ようですが、
最近はどうなんでしょうか。


例えば、原発について、
結局、責任はどうなったのでしょう。
いまいち、よくわからないのですが、
再稼働方針を示した文書では
あくまで方針を示しただけで
事故が起こったら
国が事故対応をしますよ、
という意味でしょうか。


それとも、
事故が起こったら
再稼働方針についての政治的責任、
過失があった場合の法的責任など、
そういった結果に対する責任を
事業者はもちろんのこと、
国も責任を負う、ということでしょうか。


そのあたりがよくわからないのですが、
当然ながら、
国が文書を出したから
地域は責任を負わなくてよい、
というわけではありません。
同意する場合、
その地域もいっしょに
責任を負うことになります。


事故対応で国が動くということは
わかるのですが、
それは事故や災害が起こったとき
全国から納められた
税金を使うということですから
もはや、一部の地域の問題ではなく、
全国民の声、民意に
向き合わなければならない、
ということです。


このあたりを
どのように対応されるのでしょうか。
民意、国民との向き合い方も
焦点のひとつです。


原発で事故が起これば
地域だけの問題ではありません。
日本というくくりで見られ、
観光業、輸出業にも
風評被害が出ます。


そういったことも考えれば
日本全国の問題でもあります。


再稼働後に
大きな問題が起これば、
安全、安定で高機能が
売りであったはずの
日本の品質に
ヒビが入ることになりかねません。
海外の大規模な工事などにも
支障がきたすでしょう。


そもそも
人間のすることに
100%安全という
安全神話はありません。


安全神話から脱却しなければ
さまざまなところに
影響が出てまいります。


ぜひとも脱却し、
前に進んでいただきたいと
思います。



避難計画に国が
関与するとのことについては
やるからには
全力でやっていただきた
ところです。


稼働するしないにかかわらず、
そこに有害物質があるかぎり
しなければなりません。


世界では過去に原発事故が
ありますが、
地震、津波の原発事故は
初めてです。


日本は
地震、津波に関連した
原発事故の経験を踏まえたうえで
どのような避難計画を作るのか。


フクシマ級の災害や事故が
発生した場合に
きちんと機能するのか。


身近な経験から
生かせないようでは
日本は過去や歴史から
なにも学ばない、
と言われ続けるでしょう。


安全意識の低さを
世界にアピールすることに
なりかねません。


それは日本の質を
落すことになります。


複合的災害に対応した
それなりのものをつくれば
各国が参考にすることが
できますので、
ぜひとも、
お願いしたいところです。


地震や津波がセットであると
道路に大きなひび割れが起きたり、
道路の崩落、
障害物による通行不能、
海岸沿いならば津波の可能性、
停電による信号停止、
それと合わさって
いっせいに移動することによる
渋滞。


簡単に一部書きましたが、
このあたりは
震災検証でわかっていることと
思います。
震災経験を無駄にしないよう
お願いいたします。



火山の噴火を見ると
自然災害に対して
人ができることなど
たかがしれている、
ということがわかります。


将来、ある程度の
火山予測や地震予測は
できるようになるかもしれません。
けれど、現時点の
人の技術では難しいようです。


そもそも
活火山のそばに
有害物質を置いておくこと自体
普通に考えれば
おかしなことです。


しかも、それを移動させるにも
相当な時間を要します。


希望的観測で
人の命は救えません。


自然というのは
まだまだ未知の世界のようです。


続く。



【参考・出典】
昭和史1945-1989戦後編
半藤一利
平凡社



【購入先】
ネットオフ
http://www.netoff.co.jp/index.jsp



日本人は調子に乗るとダメになるらしい第25回

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