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日本人は調子に乗るとダメになるらしい第21回、購入:ネットオフ、半藤一利:昭和史1945-1989戦後編。

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【昭和史1926-1945】

日本人は調子に乗るとダメになるらしい【第0回】

【第1回】 【第2回】 【第3回】 【第4回】

【第5回】 【第6回】 【第7回】 【第8回】

【第 9 回】 【第10回】 【第11回】

【第12回】 【第13回】 【第14回】

【第15回】 【第16回】 【第17回】



【昭和史1945-1989戦後編】

【第18回】 【第19回】 【第20回】


昭和史の内容の復習と
感想を書いています。
参考・出典はほとんど
昭和史1945-1989戦後編
半藤一利
平凡社です。


第3章
憲法改正問題をめぐって
右往左往


憲法の前に
少し前におさらいとして
少し前に戻って
確認しておきたいことがあります。
それはポツダム宣言です。


13項目あるうち、
最初の4項目は
「日本は早く降伏せよ」
という勧告なので、
外してもいいでしょう。


ですから5項目めの
「吾等(われら)の条件は左の如し」
以降が、
具体的な降伏の条件となります。


「吾等は右条件より
離脱することなかるべし
右に代る条件存在せず
吾等は遅延を認むるを得ず」


要するに
こちらが出した条件以外は認めない、
ぐずぐずしていることも許さない、
とまず釘をさしておいて
13項目まで条件を挙げるわけです。


「六、吾等は無責任なる軍国主義が
世界より駆逐せらるるに至る迄は
平和、安全及正義の新秩序が
生じ得ざることを
主張するものなるを以て
日本国国民を欺瞞し
之をして世界征服の挙に出づるの
過誤を犯さしめたる者の


権力及勢力は永久に除去


せられざるべからず」


読むとなんだかよくわかりませんが、
簡単に言うと、
国民をだまして
世界を征服しようとした
奴らは許さない、
ということです。


この「権力及勢力」が
天皇制のことだとすると、
日本の国柄、国体を
変更するぞと
言っているともとれるのです。


そこで、
当時の鈴木貫太郎内閣が
「権力及勢力」は
何を指すのかと
連合国側に照会をしたのです。


「七、右の如き新秩序が建設せられ
且(かつ)日本国の戦争遂行能力が
破砕せられたることの
確認あるに至るまでは
連合国の指定すべき日本国領域内の
諸地点は吾等の茲(ここ)に指示する
基本的目的の達成を
確保するため占領せらるべし」


連合国が日本の国を軍事占領するぞ、
ということです。


「八、『カイロ』宣言の条項は
履行せらるべく又日本国の主権は
本州、北海道、九州及四国
並に吾等の決定する
諸小島に局限せらるべし」


朝鮮、台湾、樺太
これに千島が入るかどうかの
問題が出てきますが、
それらをすべて没収し、
日本の領土は
本州、北海道、九州、四国、
そしてこちらが指定する
たとえば沖縄、佐渡島や対馬など、
小さな島に限るということです。


「九、日本国軍隊は
完全に武装を解除せられたる後
各自の家庭に復帰し
平和的且生産的の生活を
営むの機会を
得しめらるべし」


外地の軍隊のすべて
日本内地に撤収し、
一兵たりとも
外地に置くことは
許さんということです。


「十、吾等は日本人を
民族として奴隷化せんとし又は
国民として滅亡せしめんと
するの意図を有するものに
非ざるも吾等の俘虜(ふりょ)を
虐待せる者を含む
一切の戦争犯罪人に対して
厳重なる処罰を加へらるべし
日本国政府は
日本国国民の間に於ける
民主主義的傾向の
復活強化に対する
一切の障礙(しょうがい)を
除去すべし。
言論、宗教及思想の
自由並に基本的人権の尊重は
確立せらるべし」


日本民族を奴隷にしたり
抹殺したりはしないが、
戦争犯罪人は
すべて裁判によって処罰する、
そして日本の国にしっかりと
民主主義的傾向が根づくまで、
言論、宗教、思想の自由、
基本的人権は尊重しますよ、
ということです。


「十一、日本国は其の経済を支持し
且公正なる実物賠償の取立を
可能ならしむるが如き産業を
維持することを許さるべし
但し日本国をして戦争の為
再軍備を為すことを
得しむるが如き産業は
此の限に在らず
右目的の為原料の入手
(其の支配とは之を区別す)
を許可さるべし日本国は
将来世界貿易関係への
参加を許さるべし」


日本における巨大産業は
いっさい許可しないが、
日本人が生きていくために
必要な貿易などは
将来は許されるということです。


「十二、前記諸目的が達成せられ
且日本国国民の自由に
表明せる意思に従ひ
平和的傾向を有し
且責任ある政府が樹立せらるゝに
於ては連合国の占領軍は直に
日本国より撤収せらるべし」


以上六~十一項目の目的が達せられ、
これらが望むような
きちんとした政府が
日本にできれば連合国は撤収しますよ、
ということです。


「十三、吾等は日本国政府が
直に全日本国軍隊の
無条件降伏を宣言し
且右行動に於ける同政府の誠意に付
適当且充分なる保障を
提供せんことを
同政府に対し要求す右以外の
日本の選択は
迅速且完全なる壊滅あるのみとす」


日本国軍隊は無条件降伏せよ、
それ以外は許さない。
これを破るようならば、
迅速にして完全な壊滅しか
道はないと。


六項目が問題となります。


「果たして国体は
本当に守り切れるのか」


国体とは
明治憲法にある
天皇の国家統治の大権のことです。
(立憲天皇制)


けれど日本政府は
希望的観測で
天皇家は安泰で
憲法改正はないと
思っていいたようです。


IMGP1407.jpg


国務大臣だった近衛さんは
昭和20年10月4日
マッカーサーを訪ねました。


マッカーサーは
「第一に、憲法は改正を要する。
改正して自由主義的要素を
十分にとり入れねばならぬ。
第二に、議会は反動的である。
しかし、解散しても、
現行選挙法の下では
顔ぶれは変わっても、
同じタイプの議員が
出てくるだろう。
それを避けるためには
選挙権を拡大し、
婦人参政権と労働者の権利を
認めることが必要である」


「日本政府は合理的な手続きで、
必要な処置を
講ずることを希望する。
しかもできるだけ早く
しなければならない。
でないと、摩擦を覚悟しても、
われわれがこれを
やらねばならなくなる」


近衛さんは帰りの車中で、
「いやぁー、
えらいことを言われたね……」
と、奥村さんに
つぶやいたそうです。


同じ日、GHQは日本政府に、
またものすごい指令を
出してきました。
「人権に関する四項の覚書」
といいます。


①政治犯
(まだ留置場に入っていた
日本共産党員などのこと)
を10月10日までに釈放せよ


②思想警察
(特別高等警察=特高のこと)
などいっさいの
類似機関を廃止せよ


③内務大臣および警察関係の首脳部、
弾圧活動に関係のある
官吏(かんり)を罷免せよ


④市民の自由を弾圧する
いっさいの法規
(治安維持法など言論を抑えているもの)
を停止せよ


③の内部大臣をクビにせよ、とは
即ち内閣不信任
ということになります。
さらに、警察関係や
弾圧に少しでも
従事したことのある官吏を
すべてクビにするとなると、
計算すれば4千人に及びます。


とても黙って
受け入れるわけにはいかない、
というわけで、
東久邇(ひがしくに)内閣は
翌日に総辞職してしまいました。


だから国務大臣として
新憲法を作るよう
委任されたと思って
近衛さんが帰ってくるのと同じ頃に、
内閣がGHQの指令で大騒ぎになって
総辞職を決めている、
すると近衛さんはとたんに
国務大臣でなくなってしまう。
じつに不思議な事態になったのです。


近衛さんは木戸内大臣を訪ねます。


近衛さんは
「日本側できちんとした
憲法改正案をつくっておかないと、
GHQから強引な改正案を
突きつけられる恐れがある、
早いとこ手をうっておく必要がある」


木戸さんは
「マッカーサーが
そこまで考えているのなら
しょうがない」と
昭和20年10月10日
近衛さんを
内大臣府御用掛(ごようがかり)に
任命しました。


ついで木戸さんの御膳立てのもと、
天皇陛下が近衛さんを呼びつけ、


「憲法改正が必要か否か、
もし必要ならば
その範囲についての
研究調査をしっかりやるように」


と言いました。
そこで近衛さんは
自分の出身大学である
京大の佐々木惣一元教授に
お願いします。


東久邇内閣が倒れた後
元外交官の
幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)が
首相となって内閣が成立しました。


木戸さんは
近衛さんの一連の話を伝えます。
すると幣原さんは
ものすごい勢いで突っぱねました。


「大日本帝国憲法を
改正する要などありません。
マッカーサーがそんなことを
日本政府に命令するなんて、
とんでもないことです」


そして10月11日、
幣原さんは閣議で
「どうも宮内省では
憲法改正などということを考えて、
近衛さんを御用掛にして
調査研究をはじめているらしい」
と報告すると、
商法の権威かつ法律家でもあり
東大の教授だった国務大臣の
松本烝治(じょうじ)が
カンカンに怒りました。


「なにっ?!宮内省で
新憲法の準備をしている?!
憲法を改正することは
もっとも重要な
国務事項じゃありませんか。
宮内省や内大臣、いわんや
御用掛なんかが取り扱っては
いけない問題です。
筋違いも甚だしい。
改正するならもっぱら
われわれ内閣の
輔弼(ほひつ)において
なされるべきであって、
それこそが立憲的なものです」


閣僚がすべて賛同し、
松本烝治博士を中心に
「調査委員会」をつくろうと
内閣は内閣でやりはじめたのです。


幣原さんと近衛さんは
大げんかとなります。


そこで近衛さん、
京都から佐々木惣一博士を呼び寄せて
彼にも御用掛の職を与え、
昭和20年10月13日夜、
箱根の温泉宿に部屋を取って
段取りをつけたわけです。


佐々木博士は


「この憲法改正の大事は、
陛下のご意思により、
日本人の自由な立場で、
日本人の憲法を
考えることなのですね。」


意気投合して2人は俄然、
張り切るのです。


内閣側は
昭和20年10月25日
「憲法問題調査委員会」
(通称松本委員会)
を発足させます。
東大系の憲法学者が
集まりました。


昭和20年10月27日
第一回総会が開かれ、
松本委員長がこう言います。


「憲法問題調査委員会という
名称をつけたのは、
明治憲法を改正するとか、
しないとかいうことではなしに、
ただそういうことの問題を
研究する委員会という
意味にすぎない。
それに調査を充分にするためには、
たっぷりと時間を
かけたほうがいい。
あまり早くやろうとすれば、
どうしても
行きすぎのようなことが起こる」


つまり、第一回の最初っから、
憲法改正を前程にしていないのです。
明治の気骨ある、
というのか、
頑固というのか、
委員長その人に
国体を改変する考えなど、
最初からなかったわけです。


新聞では
両社の情勢を書くわけです。


これを読んで
GHQとしては
「ちょっとまずいぞ」
と思ったでしょう。


戦犯問題が大きくなりはじめ
そこに近衛さんの名が
出てくるからです。


近衛さんが
GHQの委嘱(いしょく)によって
憲法改正という
大事な問題をやっている
なんてことになるとまずいわけです。


昭和20年11月1日
GHQは
「日本憲法改正に関し
近衛公が演じつつある
役割については、
大きな誤解があるように思われる。
近衛公は連合軍当局によって、
この目的のために
選任されたのではない」


近衛さんを放り出してしまいます。


この時、
佐々木博士は憲法草案を
まとめていました。


主要な部分だけ引きますと、


「一、天皇の統治権を行なうは
万民の翼賛による旨を
特に明(あきらか)にす」


つまり天皇陛下に全部の統治権が
あるというのではなく、
それには国民全体の助けがある、
だから天皇絶対主義ではない
ということです。


「二、天皇の憲法上の
大権を制限する(……)」


「三、軍の統帥及編制も
国務なることを明にす(……)」


軍隊があったとしても、
天皇の軍隊ではなく、
国民の軍隊にするために
内閣がそれを統制する、
つまり文民統制を
明確にするということです。


「四、臣民の自由を尊重する(……)」


佐々木博士は
「日本人の憲法を作るのだ」
というつもりで、
明治憲法の基本線は
ある程度守りながらも、
GHQの意向を考慮しつつ、
急いで、しかも熱心に作ったのです。


著者の半藤さんは


もしもこれが具体化していれば、
後に押しつけなどといわれる、
つまりマッカーサーが
最初に表明したような、
「お前たち何もやってないじゃないか、
それならこっちで作る」
とGHQから出たものを
押しつけられる事態に
なったかどうか……
少し残念な気持ちは残るのです。


と書かれています。


憲法の議論が盛んになってくると、
国体-その基本にある天皇陛下の身柄
はどうなるのかの問題が
改めて浮上してきます。
各新聞で議論されていました。


そんな中、
昭和20年12月21日
GHQが当局談として
次の新聞発表を行いました。


「ポツダム宣言の主張する
『日本国民の自由に
表明した意思に基づく』
最終的政府形態の樹立を
促進するため、
直接間接に悪影響を及ぼす
一切の障害を除くべく、
総司令部はこれまで
日本政府にたいし
幾多の指令を行なった。
神道に関する指令は、
政府がいかなる形態を
とるべきかという
新たな問題について、
最後の推進を与えるものである。
日本の民主化に関する
基本的指令は一応出つくした。
今後は日本の民主的再建は
日本自体の問題となっている」


つまり、GHQとしては
もう指令は出さない。
だから新しい政府の形態、
すなわち天皇制を
どうするかは、
日本自身が決めることだ。
さあ、おまえたちの問題なのだから
早く決めてこい、
というわけです。


これを読んだ松本委員長は
ショックというのか、
「何?そんなに急かすというのか」
と俄然ハッスルして、
「ならば年内に審議を終え、
天皇制と国体の護持を憲法的に
しっかりと決めて、
安定の基礎を固めたうえで
GHQに突きつけてしまおう」
と考えたんです。


松本委員会とは全然別に
民間の有識者の間でも
憲法論議がなされていまして、
昭和20年12月26日、
民間最初の憲法草案が
発表されました。
「憲法研究会」による
独自の作成案です。
その一部をあげますと、


一、日本国の統治権は
日本国民より発す。
二、天皇は国民の委任により
専ら(もっぱら)国家的儀礼を
司(つかさど)る。


当時は知られませんでしたが、
GHQがこの案に強い関心を
もったようです。
結果的に後の憲法に
影響を与えた事実がある
ということです。


これで昭和20年が
ようやく終わります。


いよいよ松本委員会の、
論議しているんだか
いないんだか
わからない
のろのろした歩みに
業(ごう)を煮やした
GHQが「ならばおれたちがやる」
と乗り出してきます。



ここまで読んでみますと
憲法については


天皇をどうするのか


そこが焦点となり、
そこにどのように
民主化を入れるか
ということになります。


マッカーサーは
近衛さんに憲法改正を
任せたわけではないのですが、
任されたと
思い込んでしまいます。
マッカーサーから
直接話を聞いて
意図を知っていますので
急いで草案をつくります。


それに対し、
幣原さん、松本さんは
憲法を変える必要はない、
という立場ですので
ゆっくりとやります。


日本が置かれている
立場を理解せず、
現実を
見ていなかったのでしょうか。


自分の希望通りに
行くだろう、という
希望的楽観的な見方と
現実を見ずに
その場さえ対処して
占領が終われば
後はなんとでもなる、
と思っていたのかもしれません。


ポツダム宣言で
民主主義、
言論、宗教、思想の自由、
基本的人権の尊重
が明記されており、
そのうえでポツダム宣言受諾し、
降伏していますので
国を変えなければ
ならないことや
日本がどのような立場なのか
理解していれば
こんなにのんびりとは
やっていないと思うのですが、
国体はそのままで
触れたくない、
というのがあったようですから
なかなか進みません。


そこに手をつけない限り
国民主権、民主主義には
なりません。


どんな立場の人であれ
天皇陛下の事に関しては
なんとかしたい、
という気持ちはありました。


けれど、
そちらに気持ちが片寄って
感情が先行しましたでしょうか。


そうしますと、
視野が狭くなり、
本質や大事なことを見失い、
成すべきことが何なのか
忘れてしまいます。


感情は大事ですけれど
感情だけでは
仕事はできません。


近衛さんの
本意はどうであれ、
急いで憲法草案に取り組んだ
その行動は
間違ってはいませんでした。
憲法草案を作った
佐々木さんも
GHQの意図を理解しながら
バランスを取ろうと
していたようです。


相手がいるのですから
利己的では
物事は何も解決しません。


けれども、
感情的、利己的にならずに
現実を受け止めて
対処できるのでしたら
戦争には
なってはいなかったでしょうから
その当時の日本の考え方では
難しかったかもしれません。



都合の悪いことから
目をそらすことは
日本人にはありがちなことです。


しっかりと見るには
それなりに覚悟が必要です。
見なければ
わかりません。
わからなければ、
対策が打てません。
解決も出来ず、
成長も出来ず、
前に進むことはできません。



日本人は
マイナス面に視点がいくことは
何回か書いてきましたが
それは欠点ばかりではありません。


思いやりがあるのは
マイナス面に
配慮するからです。


安全分野において
得意なのは
マイナス面に視点がいくからです。


日本は世界の中でも
品質に厳しいといわれるのは
マイナス面に視点がいくからです。


日本が高度成長期
輸出に大きく貢献した
車や家電だって
元々は海外の技術であって
それらを日本に持ってきて
問題点を見つけ、
改善、改良し、
輸出したことで
経済に大きくに寄与しました。


見えている問題を
解決する能力や
改善、改良することは
得意なんです。


ただ、見えない問題には
対応できません。


ですから、
問題点をいかに見つけるか
そこにいかに価値を見つけるか
ということです。


逆に
新しいことを生み出すことは
得意ではありません。


これはマイナス面よりも
プラス面の能力ですので
日本人は苦手なんです。


ポジティブな力、
楽しむ力がないと
新しいことを生み出すことは
難しいです。


楽しんでいる時に
だれも失敗のことなんか
考えないでしょう。


クリエイティブな仕事は
楽しめないと
つらいのはないでしょうか。


プラス面が苦手ですので、
好調なときに
あさっての方向に
向ってしまうことは
よく見られる光景です。


波の乗り方が下手なんです。


あくまで
日本人のだいたいの傾向ですが、
こういった特徴を
立体的に捉えた方が
いろいろと対応しやすいのでは
ないでしょうか。


続く。



【参考・出典】
昭和史1945-1989戦後編
半藤一利
平凡社



【購入先】
ネットオフ
http://www.netoff.co.jp/index.jsp



日本人は調子に乗るとダメになるらしい第22回

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岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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