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日本人は調子に乗るとダメになるらしい第19回、購入:ネットオフ、半藤一利:昭和史1945-1989戦後編。

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【昭和史1926-1945】

日本人は調子に乗るとダメになるらしい【第0回】

【第1回】 【第2回】 【第3回】 【第4回】

【第5回】 【第6回】 【第7回】 【第8回】

【第 9 回】 【第10回】 【第11回】

【第12回】 【第13回】 【第14回】

【第15回】 【第16回】 【第17回】



【昭和史1945-1989戦後編】

【第18回】


昭和史の内容の復習と
感想を書いています。
参考・出典はほとんど
昭和史1945-1989戦後編
半藤一利
平凡社です。


第1章
無策の政府に突きつけられる
苛烈な占領政策


戦争に負けた日本の都市は、
どこにいっても焼け野原と
いっていい状態でした。


東京、大阪、名古屋、
神戸、横浜の5大都市を
はじめとして、
地方の県庁所在地と
思われるところは
ほとんど爆撃を受けています。


なんのためにこんなところまで
焼いたのかと
抗議したいくらいの
無差別攻撃で、
約90都市がやられ、
戸数にしますと、
2,360,000戸が焼失、
罹災した人は
8,405,000人といわれています。


このほか、
たとえば一家全滅となったり、
爆弾で骨も残らず吹っ飛んだりして、
数えることもできないことも
あったと思いますから、
正確な数字は出てきません。


そういう惨たる状況下で
戦後の日本ははじまったわけです。


配給は一人一日あたり
米二合一勺(しゃく)約300グラム
米が配給されない場合は
代替のもので配給、
「綜合配給」といい
大豆、小麦粉、サツマイモ
そしてそのツル、
豚の飼料でしかなかった
大豆の粕、
豚も食わないといわれた冠水芋
(水につかった芋)
などが配給されました。


占領軍の残飯をもらってきて
煮たものは
「残飯シチュー」と
呼んだそうですけれど、
そんなことをして
飢えをしのいでいました。


当時、普通の人の
一日当たり2,400キロカロリー
労働者で3,000キロカロリーが
必要とされていましたが、
配給だけでは
一人約1,200キロカロリーしか
とれませんでした。


その後、闇市がスタートします。
当初の値段は


ご飯茶わん 1円50銭
下駄 2円80銭
フライ鍋(ふらいぱん) 15円
手桶 9円
ベークライト製の食器
皿、汁椀3つ組 8円


最初の頃は粗悪も粗悪、
じつにひどいものだったように
思います。
ですが飛ぶように売れました。
モノがないのだし、
配給など
してくれないわけですから。


闇市は新宿から
有楽町、銀座、新橋、
渋谷、池袋、上野…
山手線の主要駅付近には
ほとんど並んだといって
いいのではないでしょうか。


昭和21年(1946)2月の
警視庁の調べでは、
都内の露天商(闇市)は、
76,000人を数えたといいます。


これは全国的に広がりまして、
大阪、名古屋、神戸、横浜など、
たいていの街で闇市ができました。


闇市はどんどん栄え、
価格は高騰していきます。
これが一般大衆を
苦しめることになりました。


警視庁経済三課
昭和20年10月末発表
闇市の値段表


白米一升(1.4キロ)
70円(公定価格53銭)132倍


薩摩芋一貫目
50円(公定価格8銭)


砂糖一貫目(3.75キロ)
1,000円(公定価格3円70銭)270倍


ビール一本
20円(公定価格2円85銭)


清酒二級一升
350円(公定価格8円)


冬のオーバー一着
160円(公定価格18円)


ちなみに
国家公務員給与
月最低40円。


いかに闇市の値段が
高かったかが
おわかりになると思います。


時の大蔵大臣渋沢敬三が
外国人記者クラブで会見した時に、
不用意に発言。


「米が1千万人分不足で、
1千万人が餓死するかもしれぬ」


これが新聞に出ますと、
その餓死1千万人の中に
入ってたまるかと
さらに食い物を探し求めました。


そうした街に、
外地からどんどん兵隊さんが
戻ってきます。
ますます物資、食い物が
足りなくなるわけです。


当時の新聞には


「死んだ人があっても
申告しない、
妊婦が途中で流産したとしても
届け出ない、
飼い猫に"木村タマ子"と名付けて
同居人のような顔している」


多く配給をもらおうと
していました。


食糧統制法は悪法でしたが
なかにはその法律を守って
配給だけで生きようとして
餓死して亡くなった方々が
いるそうです。


IMGP1407.jpg


GHQ連合国総司令部は
次から次へと
指令を出してきます。


昭和20年9月2日
陸海軍解体司令
降伏文書に調印するのと同時に
指令を発しました。


昭和20年9月10日
言論および
新聞の自由に関する覚書。


昭和20年9月11日
主要戦犯容疑者39人の逮捕。


昭和20年9月19日
日本プレス・コードに関する覚書。
(新聞など報道機関統制。
検閲が始まります。)


昭和20年9月22日
軍国主義的・超国家主義的教育を
禁止命令。


昭和20年9月24日
新聞界の政府からの分離指令。


昭和20年9月26日
軍需品処分に関する命令。


昭和20年10月2日
植民地銀行の閉鎖。
朝鮮、台湾、樺太にあった
銀行すべての封鎖。


昭和20年10月4日
政治的・公民的・宗教的自由に対する
制限の撤廃に関する覚書。


昭和20年10月11日
五大革命。
婦人解放、労働者団結権、教育の民主化、
秘密審問司法制度撤廃、経済機構の民主化。


昭和20年10月22日
教育制度の行政に関する覚書。


昭和20年10月31日
教壇追放命令。
軍国主義者、国家主義者の教師の追放。


昭和20年11月6日
持株会社の解体に関する覚書。
財閥解体。


昭和20年11月10日
労働統制法規の撤廃指令。
組合を作ってはいけないなどの法規の撤廃。


昭和20年11月18日
皇室財産に関する覚書。
皇室財産凍結。


昭和20年11月25日
軍人への恩給停止命令。


昭和20年11月25日
戦時利得税設定命令。
戦争中に軍需工場などで
巧みに金もうけした人への課税。


昭和20年12月9日
農地制度改革に関する指令。
いわゆる農地解放。


などなど、
次から次へと命令が出されました。


日本人は反抗もせず
受け入れました。



戦後、3つの大きな経済改革、
農地改革、労働改革、財閥解体。


この財閥解体命令で
日本を支配していた四大財閥
三井、三菱、住友、安田、
小さな財閥を含め
83の会社が解体の指令を受け、
それらの持っていた株が
いっせいに売りに出されました。


農地改革は
地主が小作人を使って
田んぼを耕させ
収穫の一部を分け与える
システムをやめ、
地主は平均一町歩、
北海道は四町歩にし、
残りは小作人に安値で
どんどん与えました。
これで日本の農村は
貧しさから解放されました。
けれど、今度は
農村で働く人がいなくなって
問題になります。
(一町歩≒1ヘクタール=10,000㎡)


労働改革は
労働組合をつくって
資本家と対等させます。


ついでに申しますと
教育改革の中に
男女共学という、
戦後日本をもっとも
特徴づけるものが
ありました。
女性を差別してはいけないと
男女共学になります。
GHQは
女性は平和をつくる、と
いいました。


プレス・コードは
新聞を検閲します。
戦時中あれほど
戦争を煽っていた新聞が
8月15日を境に
民主主義を言い出します。


GHQが占領政策の
最大の目的としたのが、
日本から
軍国主義・国家主義的なものを
徹底的になくすことでした。



戦争犯罪人の指名・逮捕が
実行に移されます。
その中に近衛文麿がいるのですが、
近衛さんは
昭和20年12月16日に出頭命令を受け、
その前夜、
お別れの晩餐をします。
みんなが帰ったあと、
青酸カリで自殺してしまいます。
これによって
東京軍事裁判は
大事な証人を失い、
後からまた妙な人を
捕まえたりするような事に
なってしまったのです。



ここまで読んでみますと
終戦直後の日本というのは
戦争が終わっても
生きることが大変で
豚も食べないようなものまで
食べて飢えを何とか
しのいでいたようです。


政府はまったく
機能せず、
なにも手を打てず
後にアメリカが援助します。



GHQは次々と政策を出し、
それに従う日本。


けれど、
これは稀な例だと思います。
アメリカの占領政策は
成功しましたけれど、
これは日本が
世界の中でも
特殊な民族性だったからです。


過去の感想の中にも
日本人の特性を
少しずつ書かせていただきましたが、
主体性がなかったり
世間の価値観に
合わせる一面があります。


それに、もともと
他国の文化を受け入れる
下地は昔からありました。
それを日本流にアレンジして
使っていくというのがあります。


流れを書きますと
最初は中国からの東洋文化、
その後少しずつ
ヨーロッパからの西洋文化が入り、
明治に一気に入ってきて、
戦後のアメリカの文化が
入っていきます。
それらが混ざり合い、
日本流にアレンジしているのが
今の日本文化です。


日本は本来、
自然共存の考え方があります。
自然や自然現象、
すべてに神が宿るという
八百万(やおよろず)の神の考え方です。
自然崇拝であり、
これが神道となります。
自然以外の動物や道具など
どんなものにも
神が宿る考え方は
他との共存思想であり、
そういった下地が
日本にはあったから
様々な文化や思想を取り入れる
ことができたのではないか、
と考えています。



天皇陛下の影響も
あったかもしれません。
生きるだけで
精一杯だっただけかも
しれません。


さまざま環境があって、
それとアメリカの占領政策が
うまく合って、
スムーズにいったのだと
思います。



この講義が語られているときは
(2005-2006年)
イラク戦争があって、
戦争から占領統治へと
移行したときです。


著者の半藤さんは


「~日本の占領政策ほど
成功したものはない、
という思いが
今でもあるはずです。
だから今回のイラクに対しても
自分たちの思い通り
うまくやってみせると
考えたのかもしれません。
ところが
日本人とイラク人は違うんです。
宗教の問題もありますが、
アメリカは今、
とんでもない大間違いを
しているのではないでしょうか」


と書かれています。
まさにその通りで
占領政策はうまくいきませんでした。
半藤さんの予想は
ぴったりとあったわけです。


アメリカは圧力で
コントロールしようとしましたが
それは反発されました。


相手をコントロールしようとして
それに素直に従ったのは
日本だけです。
これは例外中の例外と
捉えた方がよいかと思います。


現在のイスラム国にしても
元々はシリア内戦が
着火点のようですが、
さらにさかのぼれば
イラク戦争にまで
繋がるようです。


これはイラク戦争の
延長戦なのかもしれません。


戦略や戦術において
イラク戦争に関わった人が
今回のイスラム国の
背後にいるという話が
出ていますし
外国兵獲得の宣伝の仕方や
市民に食糧などを配布して
味方につけようとしたり、
心理面を巧みにつきながら
活動をしております。


慢性的な不満があって
それを解消する手段を
わかりやすいかたちで
提供している
と言えるかもしれません。


イラク戦争や
シリア内戦を長引かせた
原因のひとつに
アメリカが関わって
いるのですから
きびしい見方をすれば
なんとも、これも
自分の蒔いた種だと
言われても
仕方がないかもしれません。


イラク戦争とは違い、
今回は


人道


という
大義名分がありますので
前回のような
大量破壊兵器は
ありませんでした、
という理由不在には
ならないでしょう。


逆に考えれば
非人道的な行動をして
理由を与えてしまうと
それを大義名分として
いろいろと出来る
ということになります。


今回の始まりとなった
シリアが落ち着けば
終息方向に動くかも
しれません。


高圧的な態度、
相手をコントロールする姿勢、
相手を否定する態度。


これらは反発動機となります。


「テロ」という言葉を使い
世界の悪というレッテルを
貼りますが
これはおすすめできません。
この言葉は使われない方が
よろしいかと思います。


このレッテルを貼られた側の
気持ちを推測すれば
わかることだと思います。


この「テロ」と言う言葉は
場合によっては偏見を生み、
このレッテルを張った側も
貼られた側も
この言葉ひとつで
衝突の理由になりかねません。


もしかしたら、
この「テロ」という言葉が
テロ行為に導いているのかも
しれません。


テロ打倒ではなく、
あくまで
人道目的として行動するのが
よろしいかと思います。



このときの経済対策は
2極化になっていた
上流部分を解体したこと。
大きな資本に対して
対抗手段を作ったこと。
つまり、下流部分、
弱者・貧困層に対する
政策だったわけです。


例えるならば
森の大きな木たちが
太陽の光を
独占していたので
その木を切って
根元に光を注いだわけです。


または、
上流のダムを
解体して、
下流へ水を流したわけです。


この対策は
完全にアメリカの
コントロール下にあったから
出来た政策で、
現在の環境とは全く違いますので、
単純に比較はできませんが、
今の日本の経済政策、
大企業優遇、つまり、
上場企業優遇をはじめとする
株価対策とは
まったく逆の政策です。


株価は大事ですし
景気の雰囲気も大事なのは
わかりますが、
経済の上澄みを
より良く見せているだけの
政策ですから
2極化はより鮮明に
なるのではないでしょうか。


経済対策は
やる気のある人に向けて
するほうが効果的です。


富裕層は
自分で考えて
行動できます。
ですから、そこまで
力を入れる必要は
ないのかもしれません。


上流から下流には
お金は流れにくいですが
中流から下流には
お金は流れやすいのでは
ないでしょうか。


この場合、
バブルという
失敗経験がありますので
そこには細心の注意をする
必要があるかと思います。


大きな流れで見てみますと
そんな気がしています。


何が正しいかなんて
実は誰も知らないんです。
そして、答えは
たくさんあるのだと思います。


やはり、話し合うのが
一番よい方法だと思います。


続く。



【参考・出典】
昭和史1945-1989戦後編
半藤一利
平凡社



【購入先】
ネットオフ
http://www.netoff.co.jp/index.jsp



日本人は調子に乗るとダメになるらしい第20回

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