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日本人は調子に乗るとダメになるらしい第18回、購入:ネットオフ、半藤一利:昭和史1945-1989戦後編。

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【昭和史1926-1945】

日本人は調子に乗るとダメになるらしい【第0回】

【第1回】 【第2回】 【第3回】 【第4回】

【第5回】 【第6回】 【第7回】 【第8回】

【第 9 回】 【第10回】 【第11回】

【第12回】 【第13回】 【第14回】

【第15回】 【第16回】 【第17回】


昭和史の内容の復習と
感想を書いています。
参考・出典はほとんど
昭和史1945-1989戦後編
半藤一利
平凡社です。


昭和史戦後編は
半藤一利さんが
2005年1月25日に開講、
毎回1時間30分~2時間超
前回に引き続き
編集者に向けて話され
それを録音し、
本にしたものが
戦後編です。


1年間講座を開き、
全17回の授業となります。


丁寧に語られているのは
昭和47年(1972)までで
残りの昭和終焉への17年は
きちんとした歴史に
なっていないそうです。
(その当時2005-2006年の話しです。)


今回も各章ごとに
感想を書かせていただきます。



はじめの章
天皇・マッカーサー会談に
はじまる戦後


昭和20年(1945)8月15日昼
天皇放送によって、
太平洋戦争という悲惨な歴史が
一応、終結しました。


著者の半藤さんは中学三年生でした。
その時の心情を書かれています。


よかった、という感情よりも
突然目の前が
真っ暗になったといいますか、
頭にガツンと大きな衝撃を受けて
茫然自失といった
感情がまずやってきた。


それから滂沱(ぼうだ)として
涙が流れたのです。
悲哀の涙なのか、
悔しさの涙なのか、
それぞれ人によって違うと
思いますが。


と書かれています。


8月16日の新聞に
日本が終戦へいかに辿りついたかの
詳しい過程が書かれていたようで、
そこには天皇が御前会議で


「国民を助けるには
自分の身はどうなってもいい」


と言った「聖断」も書かれていて
これを知った人たちは
深い感動を抱いたようです。


著者の半藤さんは


昭和天皇を機軸に
みんなして戦後日本の国家再建に
力を合わそうという、
なんとなしに日本人の
「あうん」の呼吸が
できあがったのじゃないでしょうか。
このことは、
戦後昭和史を考えていくうえで、
つねに基本としてあるんですね。
昭和天皇の戦争責任その他について
これからどんどん
お話することになりますが、
国民の大部分は、
天皇陛下が
「自分の身はどうなってもいい」
と言ったおかげで
戦争は終わったこの事実に対して
国民はものすごく心を寄せ、
非常にありがたいものとして
受け止めた、
そのことが、この後もずーっと
続いていくような気がするんです。


と書かれています。



昭和20年8月17日
天皇陛下命令つまり
大元帥陛下命令として
日本陸海軍に対して
武器を置け、
これ以上抵抗するべからず、
と武装解除の命令が出ました。
それが実行されるのに
反乱らしい反乱は
ほんのわずかしかなく、
命令を受け賜って、
日本の軍隊は
どんどん解散していきました。


今日まで
「一億玉砕」
「戦士であるおまえたちが
そんなだらしないことでどうする」
と横ビンタ張っていた人たちが、
次の日から
「これからはアメリカだ」
「民主主義だ」
なんて言い出すんですから、
その変わり身の早さに
驚かざるを得ません。


その一番いい例、
じつは一番悪い例なんですが、
内務省が中心となり、
連合軍の本土進駐を
迎えるにあたって
18日に打ち出した策に出ています。
戦時、
「敗けたら日本女性はすべて
アメリカ人の妾になるんだ。
覚悟しておけ」
と盛んにいわれた
悪宣伝を日本のトップが
本気にしていたのか、
いやゆる、「良家の子女」たちに
なにごとが起こるかわからない
というので、
その防波堤として、
迎えた進駐軍にサービスするための
「特殊慰安施設」を
つくろうということになりました。
そして早速、
特殊慰安施設協会(RAA)がつくられ、
すぐ「慰安婦募集」です。
いいですか、戦後の3日後ですよ。


「営業に必要なる婦女子は、
芸妓・公私娼妓・女給・酌婦・
常習密売淫犯らを優先的に之を
充足するものとす」


内務省の橋本政美警保局長が
昭和20年8月18日
各府県の長官(県知事)に、
占領軍のための
サービスガールを集めたいと
指令を与え、
その命を受けた
警察署長は八方手を尽くして、
「国家のために
売春を斡旋してくれ」
と頼み回ったというんです。


当時、特殊慰安施設協会の
理事であった
山下茂さんが
「サンデー毎日」
昭和49年(1974)9月1日号で


「池田さんの『いくら必要か』という
質問に野本さん(協会副理事長)が
『一億円ぐらい』と答えると、
池田さんは
『一億で純潔が守れるなら安い』
といわれた」


これはあくまで
「良家の子女」の純潔です。
ちなみに池田さんというのは、
当時の大蔵省主税局長で
のちの首相、池田隼人です。


結果、慰安施設は27日には
大森で開業しています。


IMGP1407.jpg


昭和20年8月20日
それまで燈火管制で
電燈や窓に黒い幕をつけていましたが、
天皇の命令で
遮蔽幕を取ります。
3年8カ月ぶりに
屋外燈がともり、
街が明るくなりました。


ラジオ放送が天気予報をはじめ、
8月23日くらいから
音響管制解除で、
ガンガン音楽をならすことも
許されました。



昭和20年8月28日
先遣隊が来ます。


昭和20年8月30日午後2時5分
マニラから
マッカーサーが
厚木飛行場に着陸し、
日本本土へ第一歩を
踏み出しました。


丸腰にサングラス、
コーンパイプを手にして
ゆうゆうとタラップを
降りてきました。


占領軍の総司令官が、
周りに護衛もつけず、
単身で降り立ち、
平気な顔で新聞記者の前に
姿を現します。


ただ実は、
マッカーサーは、
日本国民というかアジアの人間を
たいへんよく知っていたんです。


彼は父親が
マニラの総督だったため
フィリピンの生活が長く、
かつて東郷平八郎元帥にも会い、
日本国内を旅した経験もある人で
アジアの民族の特徴
怒らせると怖いが、
普段は羊のように従順である、
これをうまく扱うには、
できるだけ自分が
表に出るのではなく
陰の場所にいて、
厳かに君臨した方がよい、云々を
よく心得ていました。



昭和20年9月2日午前9時、
降伏調印式を迎えます。



昭和20年9月11日
連合国軍総司令部(GHQ)から
主要戦犯容疑者39人の逮捕の指令が
発せられました。


昭和20年9月22日
軍国主義的・超国家主義的教育の禁止
これに基づいて、
のちにいわゆる「墨塗り」が
はじまりまるのです。
(教科書に書かれた
国家主義や戦意を鼓舞する内容を
墨汁で塗ります)


昭和20年9月29日
検閲制度の廃止


昭和20年10月11日
五大改革
1、婦人解放
2、労働者団結権(労働組合)
3、教育の民生化
4、秘密審問司法制度撤廃
  (特高といった警察制度の撤廃)
5、経済機構民主化(財閥解体)



面白い話をしますと、
『日米会話手帳』(誠文堂新光社)
が早くも8月30日、
80銭で発行されて
大ベストセラーになりました。
鬼畜米英のスローガンが
消えた途端に
「さあ英会話だ」という
素晴らしい変わり身の早さで、
しかもこれが売れに売れたんです。
3ヶ月でなんと4,000,000部。
日本の全人口の16人に1人が
買った勘定になります。



GHQによる占領政策が
開始された日本政府が
まず直面した問題は、
天皇陛下がいかにして
マッカーサーに会うか
ということでした。


政府筋からは
当時の外務大臣吉田茂が
マッカーサーのもとへ赴き、
それとなく打診を、
また宮内省からは
藤田尚徳(ひさのり)侍従長が
面会を申し込みます。


天皇陛下がマッカーサーのもとへ
赴くかたちが決まりました。
アメリカ大使館で
昭和20年9月27日に
会うことになりました。
天皇がマッカーサーのもとに
行くのはお忍びです。


マッカーサーと天皇の会見は、
合計11回行われました。
重要な会談内容は、
現在も公表されていません。
2人の約束なのだそうです。
ただ、それとなく探っていくと、
何回分かは
だいたいわかってきます。
今日は第1回についてお話します。



昭和20年10月27日
GHQ政治顧問ジョージ・アチソン
アメリカ国務省宛て極秘電報


「天皇は握手が終わると、
開戦通告の前に
真珠湾を攻撃したのは、
まったく自分の意図ではなく、
東条(英機)首相のトリックに
かけられたからである。
しかし、それがゆえに
責任を回避しようとする
つもりはない。
天皇は、
日本国民のリーダーとして、
臣民のとったあらゆる行動に
責任をもつつもりだ、と述べた」


会見の8回目以降に
通訳を務めた松井明さんが
残したメモには、
「奥村氏によれば、
余りの事の重大さを考慮して
記録から削除した」
と記されています。



皇太子(現天皇)の家庭教師を務めた
バイニング夫人が残した日記
マッカーサーから聞いた話として
書かれた
東京新聞
昭和62年(1987)10月3日付紙面


マッカーサー
「戦争責任をおとりになるか」


天皇
「その質問を答える前に、
私のほうから話をしたい」


マッカーサー
「どうぞ。お話なさい」


天皇
「あなたが私をどのように
しようともかまわない。
私はそれを受け入れる。
私を絞首刑にしてもかまわない」


「しかし、私は
戦争を望んだことはなかった。
なぜならば、
私は戦争に勝てるとは
思わなかったからだ。
私は軍部に不信感をもっていた。
そして私は戦争にならないように
できる限りのことをした」


マッカーサーは
この時ひどく驚き、
心の底から感動したようです。


戦争に負けたどこの国の元首が、
自ら訪ねてきて
「自分に責任があるから
身の処置は任せる」
などと言うだろうかと。


確かに、歴史を見れば、
たいていが
亡命または命乞い、
責任はないと強気に出るくらいで、
自分から
You may hang me.
と言った例などないでしょう。



天皇制をどうするのか、
天皇の身柄を
どうしようとしているのか、
日本のトップは
いてもたってもいられないほど
疑心暗鬼になっていました。


アメリカの世論は
天皇に責任あり、とする
意見があるなか
日本の戦後のあゆみが
はじまっていきます。



ここまで読んでみますと
天皇陛下が
「自分の身はどうなってもいい」
といった態度を知った国民は
その思いに答えたいと
思ったのかもしれません。


日本人の変わり身の早さ
というのは
世間や周りに合わせる文化
の影響かもしれませんが、
ここまで180度変わるというは
普通の生活や平和を
渇望していたのかもしれませんし、
復旧のほうが
大事だったのかもしれません。


天皇陛下が
ラジオで直接戦争終結を
話されたことで
敗戦という現実を
きちんと知ることが出来、
切りかえることが
出来たのかもしれません。


この当時の
日本人の特徴のひとつ、
主体性がなかった、
とういうだけでは
ないような気がするのです。


ただ、この時、
東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)首相が


「一億総懺悔」


といって、
みんなが懺悔することが
再建の一歩だと
言ったんです。


著者の半藤さんは
お互いに責めるのは
やめようという
「なあなあ主義」
につながり、
トップ層の国民指導の理念が
垣間見えるとし、
国民に日本の未来を
考えさせないようにした、
という趣旨のことを
書かれています。



日本でもアメリカ兵向けに
慰安所が作られていたようです。


理由が


「良家の子女の純潔を守るため」


そのための防波堤。


アメリカ兵による
強姦、性犯罪はあったようですが、
そういったものから
国民を守るためではなく、
あくまで上流階級を守るために
国民を利用して
自己保身に向う発想のようで
戦時と変わらず残念です。


どうやら、
その道のプロを中心に
集めたようで、
占領軍の第一陣が来るときには
1,360人の慰安婦が
そろっていたと
記録に残っているそうです。


設立翌年1946年に廃止されます。
ポツダム命令の公娼の廃止、
梅毒などの
性病の蔓延などが
理由にあるようです。


廃止後、
パンパンと呼ばれる街娼に
なった人もいるようです。



現在、慰安婦問題は
出口が見えそうにありませんが、
見ておりますと
あまりにも様々なことが
絡まりすぎて
よくわからないことになっています。


私なりに出来る範囲で
整理しておきます。


前置きしておきますが、
軍専用慰安婦というものは
民間経営といえ、
環境によっては
つらい思いをされた方がいるのは
事実であって、
今後、こういう施設や行為が
あってはなりません。



請求権についてですが、
非人道的不法行為については
国際条約で請求権が
放棄されたとしても
個人的に請求できるようなことが
言われているようですが、
その話が通ってしまうと
例えば、
東京大空襲や原爆投下をはじめとした
市民殺害行為も
非人道的不法行為であり、
サンフランシスコ講和条約で
請求権放棄がうたわれていても
個人がアメリカに対して
請求できてしまうことになります。


もちろん、
サンフランシスコ講和条約の
請求権放棄は
そういった非人道的不法行為の
請求権も放棄することを
含めたものであって
日本はそれにしたがって
この問題については
国家間では解決済みであり、
請求するならば
日本政府に対してしか
できません。


実際に日本国内では
東京大空襲に関して
日本政府に対して
訴訟を起こしているケースがあります。


第二次世界大戦では
不法行為がたくさん行われてきました。
けれど、そういったことも含め
それぞれ事情がありますけれど、
国家間の戦争に関することは
これで終わりにしましょう、
というのが平和条約です。


日韓基本条約は
国家間の国際条約であって
請求権に関して
除外項目が明確に
示されていなければ
それは不法行為を含め
包括的に請求権に関しては
解決済みとなります。


賠償金も韓国政府に
支払われております。


いろいろな
強い思いがあるかと思いますが、
請求されるならば
日本政府ではなく
韓国政府に対して
ということになります。


このことに関しては
国際社会の一員である、
韓国側もご理解されていると
思います。
ですから、
慰安婦問題については
謝罪を要求しているのでしょう。


最近、国連が日本に対し
慰安婦問題に関して
謝罪と賠償の勧告を
されておりますが
賠償に関しては
国家間は解決済みとなります。


国際機関が国際ルールについて
丁寧さを欠いた判断や発言をされ
前のめりになっているようです。


人権を守る立場としては
勧告の意図は理解できますが、
こういった
公平性、中立性や丁寧さを欠いた
判断を続けられますと
だれも耳を傾けなくなります。


発言力の低下は
世界としても損失となります。


次回からは
丁寧な調査や判断を
お願いしたいと思います。



慰安婦について
情報があまりにも錯綜しており
実態を知りたく
少し調べてみたのですが、
様々なケースがあり
ひとつの事例をもって
それが日本の慰安婦すべてのこと
と捉えるのは無理がありそうです。


地域によって
あるいは
運営する民間業者によって
ゆるい環境と
きびしい環境が
ありそうです。


部分部分の情報しか
知ることができませんでしたが、
感じたことを
書かせていただきますと


戦線に近い場所
東南アジアや中華民国で
働いたといったらいいのか
わかりませんが、
その場所にいた
慰安婦たちは
相当厳しい環境に置かれて
いたようです。


戦線に近い場所というのは
当然ながら
階級の低い、
若い兵隊さんが
多く活躍される場所です。


戦場の第一線で
戦っているのですから
その精神負担は
大変重いことでしょう。


そんな若い兵隊さんにとって
慰安婦の存在は
もしかしたら
大きかったのかもしれません。


結構な数の兵隊さんを相手に
性処理をされたようで
大変な思いをされたようです。


お金を稼げた人たちは
運営する民間業者が
しっかりしているか
ある程度クラスの高い
軍人を相手に
されていたのかも
しれません。



今回に慰安婦問題に関して
強制の有無は
わかりませんが、
そもそも
日本軍専用となった
慰安婦、慰安所
そういった仕組み自体が
問題だと思うのです。


もちろん、
二度とあってはなりません。



謝罪については
過去の日本の総理大臣をはじめ
日本政府が複数回謝罪の発言を
されています。
ですが、その発言は
韓国国民や
元慰安婦の方々には
届いていないようです。


韓国政府やマスメディアが
伝えていないのか
よくわかりませんが、
受け取ってはいないようです。


1998年日韓共同宣言にも
戦時のことや慰安婦のことには
触れていないようです。


ですから、
日韓国交正常化50周年
というタイミングで
共同声明または共同宣言という形で
慰安婦問題や戦時のことに関し
日韓基本条約から
現在までの総括する場とし、
これで区切りをつけて
お互いに未来へ進む必要があります。


謝罪をするにしても
受け取っていただかないと
意味がありませんので
共同声明や共同宣言で
形にする必要があります。


その後、
両政府は国民に対して
きちんと説明しなければ
なりません。


ですので
それまでに
お互いの環境を
できるだけ改善しておき
受け取る準備を
しておかなければ
ならないでしょう。



マッカーサーという人物は
名前くらいで
今までよく知りませんでしたが
どうやら高圧的な人ではなく
話を丁寧に聞いてくれる
人だったようです。


今後、いろいろと出てきますが、
マッカーサーは日本のことを
汲み取ってくれた人のようで
読み進めていくと
イメージが変わるかもしれません。


続く。



【参考・出典】
昭和史1945-1989戦後編
半藤一利
平凡社



【購入先】
ネットオフ
http://www.netoff.co.jp/index.jsp



日本人は調子に乗るとダメになるらしい第19回

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