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日本人は調子に乗るとダメになるらしい第11回、購入:ネットオフ、半藤一利:昭和史1926-1945。

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日本人は調子に乗るとダメになるらしい【第0回】

【第1回】 【第2回】 【第3回】 【第4回】

【第5回】 【第6回】 【第7回】 【第8回】

【第9回】 【第10回】


昭和史の内容の復習と
感想を書いています。
参考・出典はほとんど
昭和史1926-1945
半藤一利
平凡社です。


第10章
独ソの政略に振り回されるなか、
南進論の大合唱


昭和15年9月26日
北部仏印(ベトナム)に
進駐する大計画をたてます。


そこは当時、
ドイツに降伏後に樹立された
ペタン元帥が指揮する
フランスの傀儡政府の総督府が
ありましたが、
本国はガタガタしていますから
ドイツのいいなりで、
実際はこの政府には力は
ありませんでした。
日本はこの”仮”政府に交渉し、
北部仏印、
現在のベトナムのハノイ周辺に
軍隊を送り込むことにしたのです。


日本としては、
英米から中国に送られる
軍需物資を遮断する意味でも
ここを押さえる必要がありました。


進駐はあくまで話し合いの結果ですから
平和裡に行うはずだったのです。


ところが、
手続きの問題でごたごたして
進駐してきた日本軍は、
守備にあたっていた仏印軍と
銃火を交えてしまいました。
当時の陸軍の若い参謀が
苛立って一気に仏印軍を
撃破してやろうと突入していまします。


これで日本は世界の非難を
全面的に浴びることになります。


9月26日に東京に打電。


「統帥乱れて信を中外に失う」


世界的信用を失う出来事でした。



10月14日
上京していた山本五十六は
西園寺さんの秘書の原田熊雄に


「じつに言語道断だ。
……自分の考えでは、
アメリカと戦争をするということは、
ほとんど世界を相手にするつもりで
なければだめだ。
しかしここまできた以上は、
最善を尽くして奮闘せざるを得ない。
そしておれは
戦艦長門(ながと)の艦上で
討ち死にするだろう。
その間に、東京あたりは
三度ぐらいまる焼けにされて、
非常なみじめな目にあうだろう。
じつに困ったことだけれども、
こうなったらやむを得ない」


憂慮と怒りをぶつけていました。


IMGP1225.jpg


海軍中央は対米強硬路線で
走り出します。


海軍中央部の石川大佐は


「ナチスはほんのひと握りの同志で
発足したんだ。
われわれだって志を同じくし、
団結しさえすれば、
天下何事かならざらんや」


すると藤井中佐は


「金と人(予算と人事)を
もっておれば、
このさき何でもできる。
予算をにぎる軍部局が
方針を決めて押し込めば、
人事局がやってくれる。
自分がこうしようとするとき、
政策に適した同志を
必要なポストにつけられる」


また、柴中佐は言います。


「理屈や理性じゃないよ。
ことを決するのは力だよ、
力だけが世界を動かす」



遠く広島湾の
山本五十六連合艦隊司令長官は


「対米英戦争は
もはや避けられそうに
ないのであろうか。
やむを得ん。
いざとなったら
真珠湾を攻撃しよう」


と考え出していました。



その頃国民は、
生活状態も押し詰まってきて
自由がきかず、
心の中にはかなりの不満を
抱いていました。


ABCD包囲陣


A:アメリカ
B:ブリティッシュ
C:チャイナ
D:ダッチつまりオランダ


という言葉が
新聞紙上に躍りだし、
「米英討つべし」の声も
聞こえはじめ
好戦的な風潮が
生まれていたようです。


昭和15年10月12日
近衛さんは
大政翼賛会を発足させます。
政党はすべて
翼賛会に吸収されてしまいました。


その後、大政翼賛会を中心に
政治は動いていきます。


実際には
軍部と内務省の支配下におかれ、
戦争協力の
御用機関になっていきます。


昭和15年11月24日
元老の西園寺公望が亡くなります。
三国同盟が結ばれた時には


「これで日本は滅ぶだろう。
これでお前たちは
畳の上で死ねないことになったよ。
その覚悟を今からしておけよ」


としみじみ言ったそうです。
事実、日本はそのようになります。
享年91でした。



昭和16年に入りますと
雑誌などへの統制は厳しさを増します。


治安維持法
(宗教団体や自由主義等、
政府批判はすべて弾圧の対象)


国家総動員法
(言論出版の掲載制限も含まれています)


言論出版集会結社等
臨時取締法


軍機保護法
(軍事機密(軍機)を保護)


不穏文書臨時取締法


戦時刑事特別法
(臨時の刑罰の規定追加や
厳罰化と刑事裁判の迅速化)


など


マスコミはあらゆる法令によって
がんじがらめとなります。



次に
松岡洋右外務大臣の
外交ことについてです。


三国同盟を結んだあと
昭和16年3月から4月にかけて
ヒトラーとスターリンに
会うために、
自らベルリンとモスクワを
訪問することにしました。


1回目 3月27日
ヒトラーは
日本にとって
これ以上絶好の機会はないとして
シンガポールの攻撃を勧めます。
シンガポールはイギリスの植民地で
シンガポールを叩き
イギリスを完全につぶして
おかねばならない、として
イギリス本土上陸失敗を隠しながら
話します。


松岡外相は
日本に帰って説明しなくてはならないから
と言い逃れをしようとするのですが、
ヒトラーはたたみ掛けます。
松岡外相はなんとかやり過ごし
約束だけはしなかったようです。


2回目 4月4日
松岡外相は
シンガポールに攻撃すると
アメリカが開戦すると宣言するし、
イギリス文化で育まれた日本人は
大きな反対運動が起こる、
と言うと
ヒトラーは批評。


「そのようなアメリカの態度
というものは、イギリスが存在する限り、
いつか手を組んで日本に一撃を
加える野心の表明にほかならない。
裏を返せば、イギリスが没落すれば
仲間を失い、いきおいアメリカは
孤立せざる得ないということだ。
そうなるとドイツ、日本、イタリアを
相手に戦争をする気など
まったく起こさないだろう」


松岡外相は
誘いに乗らず自制し、
シンガポール攻撃の約束は
しませんでした。



4月13日モスクワ到着。
その日の午後2時には
日ソ中立条約が調印されます。
有効期限は5年間です。
電撃外交に
松岡外相は有頂天です。


この時のソ連のもくろみは、
ドイツが
やがて攻めてくることは
諜報機関によりわかっていたようで
戦っている時に
後ろから日本にやられたら
たいへんな事態になりますから
この条約はソ連にとって
タイミングが良かった、
ということのようです。


調印後の小さなパーティの時
スターリンは日本大使館付の
海軍武官に近づき、


「これで日本は
安心して南進できますなあ」


と声をひそめて言ったといいます。


日本国内では
これで
安心して南進ができると
マスコミは
南進論一色に染め上げられて
いきました。


アメリカは諜報機関の
暗号電報解析で
スターリンやモロトフ外相と
松岡外相の微妙なやりとりから
日本が南進政策が主流の考え方に
なっていることを再認識したようです。


昭和16年(1941)6月22日
ナチス・ドイツがソ連に進攻します。
松岡外務大臣は突然こう言いだします。


「断固としていま、ソ連を攻撃しよう」


中立条約を結んできた当事者の
この発言に周囲は驚きます。


「英雄は頭を転向する。
わが輩はさきに南進論を
主張してきたが、
いまは北進論に転向する」


「時間がたてばソ連の抵抗力が増し、
日本は米英ソに包囲されることになる。
日本が満州から攻撃に出て
スターリンをぶっ叩き
ヒトラーに勝たせる。
その後にゆっくりと南方へ進出すれば、
米英を押さえることができる。
ところが、さきに南方へ進出すれば、
米英と衝突して
アメリカのヨーロッパ参戦を招くことになり、
ドイツが俄然、不利になる。
おかげでソ連は生き延び、そのため日独は
ともに敗北するかもしれない」


「まず北をやり、次いで南をやるべし。
虎穴に入らずんば虎児を得ず。
よろしくソビエト攻撃を断行すべし。
それが正義というものだ」


のちの御前会議1回目で
「南進すべきか北進すべきか」
が中心議題とされるのです。



ここまで読んでみますと
陸軍の若い参謀が暴走して
勝手に攻撃するあたりは
あいかわらずの軍紀のゆるさです。


藤井中佐の
「金と人(予算と人事)を
もっておれば、
このさき何でもできる」


とか


柴中佐の
「理屈や理性じゃないよ。
ことを決するのは力だよ、
力だけが世界を動かす」


というのは
なんとも
今の日本と重なります。


なんでもできる
何をやっても良い
という考えが
日本を戦争へと加速させて
いきました。


日本国内では
それがある程度通用しておりましたが、
世界ではそれは通用しませんでした。


自由にできる力を手にしますと
使ってみたくなるものでしょうか。


権力を手にした側が
ルールを破って
自己都合で使うということは
どこの国でもあることでしょう。


なぜ、そうなってしまうのか。



わかりやすい例をあげるとすれば、



です。


金というのは
人間が生み出した仕組みの中では
もっとも利便性が高いもののひとつです。


最初は物々交換で取引していたものを
通貨というものを使って
代わりに変換し、
いつでも、自由なときに
再交換して物を手にいれます。


物々交換ではあいまいだった基準も
明確になり、
共通認識、共通の基準が生まれます。


通貨は
最初は金・銀といったそのものに
希少価値があるものを使っていましたが、
より利便性を高めた
紙幣が登場します。


これは金本位制といって
国が保有している金を担保、基準にして
紙幣は作られていました。


ですが、より利便性を高めるため
金本位制はなくなり、
国の信用で紙幣は作られます。


最近はデジタル技術の登場により
紙幣をつくらなくても
金はネット上のデジタル数字だけで
移動できるようになります。


金というのは
人間の利便性を象徴するひとつです。


道具を使って進化してきた
人間なのですから
道具、
つまりは自分よりも大きな力を
作り出し利用する
利便性に価値を置くのは
当然と言えます。


ですが、
人間の慾には上限がありません。
利便性をより向上しようとするでしょう。
そうしますと、
人間ではすでにコントロールできなくなり
大きくなりすぎた
その利便性に押しつぶされます。


金融システムで
人間はときどき痛い目にあっていますが
それは余震みたいなものだと
思っています。


たとえば、
核の存在も利便性の象徴と
捉えることができます。
そして、痛い目をあい、
相手を脅す道具となっています。


道具で進化してきた人間が
滅ぶ原因のひとつは
道具だと推測はできるでしょう。


ですから、ルールが必要です。


人は利便性のあるものは
使いたくなるのです。
そういう生き物だと
思った方がよいかと思います。
部屋の中や町の中を見れば
生活の姿を見れば
それはわかることでしょう。


利便性は
人にとって
力の象徴と
見ることができます。


ですが、日本の場合は
単純にそれだけではありません。


精神面が絡んできます。
むしろ、こちらのほうが
やっかいかもしれません。


力を
何かの目的を達成する
手段として
捉えるだけでなく
精神面を満たすために使うからです。


それは自分を証明する手段として
用いられるようです。


この場合、
批判すればするほど
力を行使する
という悪循環になります。


その原因を探れば
たぶん、子ども時代の影響が
大きく影響されているかと思います。


日本では
人を育てるとき
相手を認めるということを
していません。


最近はまだよくなっているかと
思いますが
昭和時代やその前の時代は
とくにそういった
社会背景、社会常識がありますから
相手を認める、という手段を使って
人を育てません。
褒めたり、その行為や過程を認めることを
あまりしません。


ひとつの模範的な例をあげて
それに合わせるように
欠点を修正していきます。
ですから、相手を叱ることで
間違いを、欠点を否定することで
修正し、型にはめていきます。


場合によっては
それは有効となるときもあります。
技術を育てるときは有効です。
日本の飛び抜けた技術は
こういった手法により
育ちました。


ですが、人間の心を育むうえでは
あまりよい効果をもたらしません。


相手を否定して育てた場合、
人は否定的になりますし、
認められなかった
承認欲求を
力を手にしたときに
満たそうとします。
ですから
日本人は調子に乗りやすいのです。


飴と鞭という表現は
あまり好きではありませんが
バランスが必要ということです。
褒めるところ、叱るところ、
それはその発育状況によって
意識しなければなりません。


少しまとめますと、
人というのは
力(利便性)を使いたい
生き物ではないか。
日本人の場合、
承認欲求を
満たすためにも使う。


私はそのように感じています。



昭和16年に入り、
より規制が厳しくなります。
その中に


治安維持法
(宗教団体や自由主義等、
政府批判はすべて弾圧の対象)


があります。


言論の自由を封じる動きなのですが、
現在の日本政府は


共謀罪


を今秋の臨時国会で
新設しようとしています。


治安維持法と共謀罪は
よく比較される
法の仕組みで
共謀罪を
勝手に拡大解釈され
治安維持法と
同等の効果を持つもの
あるいは、
同等の抑止効果のあるもの
として利用される恐れがあるため
この法案が出されるたびに
反対運動が起きます。


ましてや
今の政府は拡大解釈する
というイメージがありますから
より反発は強くなるでしょう。


日本はかつて
治安維持法という
国民の行動をしばり
黙らせる強硬な法をつくりました。


これは
ちょっと政府批判をしただけで捕まり
抗議行動、デモ行為は
捕まります。
密告する人が増え
国民が国民を監視する
監視社会への一歩となります。


もちろん、敗戦後
ポツダム宣言に従って
この法は廃止されます。


そのような過去の経緯があるため


共謀罪


は治安維持法の再来と
なるのではないか、
ということで
反対します。


共謀罪は
実行行為がなくても
処罰対象となりますので
理由をつけて
疑いありとあれば
調べることができます。


共謀罪は
言論や思想統制の効果が
あるということです。
適用しなくても
この法が存在するだけ
言論や思想に対して圧迫行為と
みることができます。


ですから、
その法、存在事態が


日本国憲法第19条
思想及び良心の自由は、
これを侵してはならない。


日本国憲法第21条
集会、結社及び言論、出版
その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。
通信の秘密は、これを侵してはならない。


これらの憲法に違反する
おそれがあります。


国民が自由かどうか、という判断は
国が決めるのではなく、
国民が判断するのです。


ちなみに


軍機保護法
(軍事機密(軍機)を保護)


は特定秘密保護法に似ています。


近衛文麿内閣が出てこないことを
祈っておりましたが、
同じ道を歩んでいるように見えて
しかたありません。


今の国民の状況を見ていれば
このような反発される法を
今のタイミングで
出そうとは思いませんが、
なぜ出してくるのでしょうか。


この法をちらつかせれば
黙るだろう、という
考え方が働いているのでしょうか。


もし、このような考え方を
されているのであれば
戦争に向った
かつての日本政府と
考え方に似ています。


やはり、同じ道を歩むのでしょうか。


続く。



【参考・出典】
昭和史1926-1945
半藤一利
平凡社



【購入先】
ネットオフ
http://www.netoff.co.jp/index.jsp



日本人は調子に乗るとダメになるらしい第12回

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