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日本人は調子に乗るとダメになるらしい第2回、購入:ネットオフ、半藤一利:昭和史1926-1945。

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日本人は調子に乗るとダメになるらしい第0回
日本人は調子に乗るとダメになるらしい第1回


昭和史の内容の復習と
感想を書いています。
参考・出典はほとんど
昭和史1926-1945
半藤一利
平凡社です。


第一章
昭和は”陰謀”と”魔法の杖”で開幕した


張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件
昭和はこれから始まりました。


張作霖は満州の大軍閥として
君臨していました。
中華民国では内戦状態で
孫文、蒋介石の国民政府軍が
統一へと向っています。


張作霖の東北軍は国民党軍と
対峙し始めるのですが、
日本はなんとか満州を勢力下に置きたいため
張作霖は日本軍の後押しを期待するため
お互いに利用し合う関係で
蜜月時代が少し続くのですが、
張作霖が大元帥と自称して
北京まで進行、
日本軍の後ろ盾で
北京政府までつくってしまいます。


張作霖は日本の言うことを
きかなくなってきます。


利用できないのであれば
張作霖を亡き者にした方がいい、と
日本政府内では決めていたようです。


昭和3年(1921)
蒋介石の国民党軍に敗れた張作霖は
北京から逃げてくるという情報が入ります。


張作霖を後押しして
国民党軍と衝突するのは危険と判断し、
張作霖を排除して
満州を日本軍自ら統治するかたちに
してしまおう、という計画が
陸軍で密かに練られます。


そんなとき、張作霖が
奉天へ逃げ帰ってくることが
はっきりし、
ならばその列車を爆破しようと
関東軍の参謀らは考えました。


そして、線路に仕掛けられた爆薬で
張作霖は爆殺されます。


この爆破は
アヘン中毒の中華民国人2人のしわざに
するつもりでしたが
計画がずさんで、
すぐばれてしまいます。


関東軍は関知しないと言うのですが
どうもおかしい。
それに気がついたのが
昭和天皇の側近、
西園寺公望(さいおんじきんもち)でした。


この人は元老で、
天皇の相談役です。
元老は内閣総理大臣経験者が担当していました。
昭和天皇は若くして天皇陛下となりましたので、
側近がいろいろとおります。
この当時、昭和天皇は26歳で
いろいろと助言をしておりました。


西園寺さんは
陸軍がやったことに感づきます。
世界的におおやけにはできないけれど、
国内ではケリをつけておかないと
将来的にいい結果をもたらさない、と考え
当時の内閣総理大臣田中儀一を呼びつけ、
調査を申し渡します。
田中首相は「わかりました」と言うだけで
実行しません。
西園寺さんはせっつきますが、動きません。


田中首相は元陸軍出身でした。
陸軍を調査しようとしても
なかなかできません。
陸軍幹部から牽制されます。
天皇の側近からも調査について言われ、
やむを得ず、
陸軍は関与していないことを
昭和天皇に報告するのです。


昭和天皇はこの内容に驚きます。
陸軍が関与しているかも、と言っておいて
半年もすっぽかした挙句
一切関係ないといったのですから
昭和天皇は怒ります。


田中首相に対し
責任をはっきりとするよう言います。


その後、陸軍の処分案が出されるのですが
軍法会議で罪を問うことはせず
行政処分だけで、厳罰はありません。


これを聞いた昭和天皇は
再び、田中首相を呼び寄せ、
これで済むと思うのか、
お前は辞めるように、と
辞職を告げるのです。


田中首相は辞去、総辞職。
その後、すぐに亡くなってしまいます。


この事件の首謀者は
関東軍参謀、河本大作と言われているようですが、
「昭和天皇独白録」によると


「こんな云い方をしたのは、私の若気の至りであると
今は考えているが、とにかくそういう云い方をした。
それで田中は辞表を提出し、田中内閣は総辞職した。
聞くところによれば、もし軍法会議を開いて
訊問すれば、河本は日本の謀略を全部暴露すると
云ったので、軍法会議は取りやめということに
なったと云うのである」


とあります。
「昭和天皇独白録」とは
昭和天皇自ら昭和時代を語った本です。


張作霖爆殺事件には
ケリがつくのですが、
ここで大事なことは
天皇が政治に口をだしたことです。


昭和天皇はその後、
内閣が一致して言ってくることに対し
自分は違う意見であっても
認めることにしたようです。


昭和天皇は以後、
内閣や軍部で決まったことに
ノーと言わない
「君臨すれども統治せず」
「沈黙の天皇」
となってしまうのです。


IMGP1225.jpg


昭和5年、ロンドンで軍縮条約に
調印するのですが
ここで問題が起きます。
軍縮のことで海軍省と
海軍軍令部で
意見が対立します。
海軍軍令部は軍縮に反対します。


その頃、国会の議会で
野党の犬養毅、鳩山一郎らが
「統帥権干犯」を持ちだして
猛反対をします。


日本軍の統帥権、指揮権は
天皇が持っていました。
そして指揮権のもとに
補翼する軍令部が権限を
もってるのであって、
海軍省には軍政を扱う権限は無い
と言ったのです。
海軍省が勝手に軍縮に調印することは
統帥権に違反している
統帥権干犯であり、大問題だ、と
言ったわけです。
(干犯:干渉して
相手の権利をおかすこと。)


調印はしてしまったわけで
そのことについて
海軍はまっぷたつに割れます。
一応話は決着するのですが、
ケンカ両成敗で
軍令部側、海軍省側から
次々と良識派が辞任していきます。
海軍は強硬派が主流となり、
これがのちに
対米強硬路線へ
動いていくことになります。


「統帥権干犯」と言う
言葉が出てきたことで
口出ししたら干犯になる、
という考え方が確立しました。
この言葉で
優秀な海軍軍人が
現役を去って行ったのです。


この「統帥権干犯」という
魔法の杖を考え出したのが
北一輝と言われています。
この統帥権干犯を野党に教え、
それに海軍強硬派はとびつき、
大喧嘩がはじまりました。


こうやって見てみますと
なんとも各部門が
自由にやりたい放題です。


陸軍は勝手なことをやっても
結局、軍法会議にはかけられず、
統帥権干犯の言葉をつくり
軍令部に口出しできなくなり、
軍の力は強くなります。


昭和のはじめ、
張作霖爆殺事件と
統帥権干犯。
この二つが
日本のブレーキを
はずしてしまいました。



陸海軍の暴走のしかたを
見ておりますと
ここに日本人の特性が見えるように
思います。


日本人は結果を出した人に対して
なかなか意見を出したり、
ノーといったりすることが
できません。


というのも、
日本人の評価の仕方は
減点方式で、
マイナス面を指摘する場合が多く、
そのマイナス面がないほうが
優秀である、という価値観が
あるようです。
社会常識という平均値を
基準に照らして判断しています。


それと日本の理想のリーダーの形として
欠点はない、
マイナス面がないのが当たり前で
すべてにおいて他よりも優れ
模範となるべき人を
理想のリーダーとしているようです。
(そんな人、いませんけれども)
ですから、リーダーがミスをすると
批判の的になります。
日本のリーダーはすべてこなせる、
こなすことが
当たり前みたいなことになっています。
神様仏様のようなものです。


つまり、優れている人は正しい、
ということが
認識の前程となっているようです。


これは、結果を出している人は正しい、
という認識につながります。


ですから、優れている、と
認識している人に対しては
口出しはできない、という意識が
根底にはあるようで、
(優秀=正しいがありますから)
結果を出している人には
なかなか指摘することができず、
黒を白と言っても
優秀な人が言っているのだから・・・、と
なってしまいます。
本当は、黒を白と言ったら
それは白ではなく、黒ですよ、と
言わないといけないのですが、
それが言えません。


結果を出している人は正しい。
その価値観のもと、
暴走をし始めるのでは
ないでしょうか。
丁寧さを失い、
おごり、うぬぼれて
しまうのかもしれません。


日本軍は
ロシアや清に勝って、
第一次世界大戦でも戦勝国側になり、
黒船に驚いていたレベルから
40年で一気に
世界の大国となるのですから
日本人の特性を考えますと
なにをやってもいい、と
勘違いして
調子にのってしまうのは
当然の流れだったのかも
しれません。
そして、それがあだとなって
滅びの道へと進んでいくのです。


続く。



【参考・出典】
昭和史1926-1945
半藤一利
平凡社



【購入先】
ネットオフ
http://www.netoff.co.jp/index.jsp



日本人は調子に乗るとダメになるらしい第3回

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岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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