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日本人は調子に乗るとダメになるらしい第1回、購入:ネットオフ、半藤一利:昭和史1926-1945。

IMGP1224.jpg


日本人は調子に乗るとダメになるらしい第0回


昭和史の内容の復習と
感想を書いています。
参考・出典はほとんど
昭和史1926-1945
半藤一利
平凡社です。


はじめの章
昭和史の根底には”赤い夕陽の満州”があった


最初は
国家興亡40年説について
説明が書いてあります。


半藤さんは
黒船来航から12年後、慶応元年(1865)、
京都の朝廷が「開国する」と国策を変更した、
その時を近代日本のスタートと
考えた方がいいと言っています。


近代日本ですと
明治維新を思い浮かぶのですが
明治元年ではなく、
開国を決め、そこから新しい国づくり、
世界の文明と直面しつつ
自分たちの国をつくっていかなければ
ならなくなったところを
始まりとしています。


3年後、慶応4年、明治元年になり、
人々は一生懸命に国づくりをはじめます。
世界の国々に負けないように、
植民地にならないように、
無理を承知で
背伸びした国家建設をします。
そうしますと、ある程度うまくいって
東南アジアの国々が植民地になる中、
日本は植民地にならず、
近代国家を作り上げることに
成功します。


明治27年~28年(1894-1895)
日清戦争に勝利。


明治37年~38年(1904-1905)
日露戦争に勝利。


開国を宣言した1865年から
日露戦争に勝利した1905年。
40年かかって近代国家を完成させます。


ここから大正、昭和となりますが、
自分たちは堂々たる強国、
強国の仲間に入れる、
と日本人はいい気になり、
世界を相手にする戦争をはじめ、
国を滅ぼしてしまう。
昭和20年(1945)8月15日、
敗戦。
日露戦争勝利の1905年から
敗戦の1945年。
40年で国は滅びます。


占領されて7年後、
講和条約の調印を経て新しい国づくりが
はじまるのが1952年。


戦後復興、
40年かけて経済大国になりますが、
いい気になって
バブル崩壊が1992年。
(これは株価が暴落した年をさしています。)


国家興亡40年説ですと
今は滅びの真っただなか。


この40年周期というのが
なんとも面白いくらい
ピタリとはまっています。


40年を起点に
上がったり下がったりするのは
よくわかりませんが、
40年かけて作られた山を
40年かけて崩している
と見ることができるかもしれません。


新しい時代が訪れるには
その前の時代が無くならないと
来ないのかもしれません。


IMGP1225.jpg


次は近代日本が一回目のピークをむかえた
日露戦争について書いてあります。
滅びの道へ向かう始まりです。


ロシアは北の国です。
冬には凍ってしまうシベリアには
自由に出入りできる港がありませんでした。
そこで不凍港を欲しがって
清国の東北、満州に武力を持って乗りこみ
強引に清国と条約を結び
満州の権益を奪いました。
遼東半島の旅順・大連の港を
ロシアは手に入れます。


日本はそのことを脅威に思います。
このまま南下されれば
次は日本が危ない。
日露戦争は
自存自衛のために
始まった戦争です。
守るために攻めたのです。


日本はその戦争に勝ちます。
ロシアと条約を結び
清国とも条約を結び
諸権益を得ます。
その中で鉄道の経営権を得るのですが、
その鉄道を守るため軍隊を置く
鉄道守備の軍隊駐屯権を得ました。
満州に軍隊を派遣するスタートとなります。


これはふたたび南下してくる可能性のある
ロシアに対して
のちに日本の「生命線」と言われる
国防のための最大の防衛線を
引くことができました。
鉄道や住民を守るための軍隊は
のちに「関東軍」と呼ばれます。


日本は資源が乏しいですので
鉄、石油、錫、亜鉛など
アメリカ、イギリスの植民地である
東南アジアから輸入していましたが、
資源供給地として
満州が期待されます。
実際には鉄や石炭はありましたが、
石油はありませんでした。
けれど、資源の供給場所を手に入れた
日本は、英米の完全依存から
いくらかは脱却することができました。


日本は人口が増加していましたので
その流出先として満州が重要視されました。


日露戦争に勝った日本は
満州をどうやって経営していくのかが
政治の中心課題となります。


日本は海岸線の長い島国であり、
敵国が本土上陸されると
防ぎようがありません。
そこで海の向こうの土地を
防衛線としなければならない
という考えが常にありました。


こうやって見てみますと
守るという理由で攻め、
守るという理由で軍隊を派遣し、
どんどんと大きくなっていった
ということになります。


守るため、という理由で始まったことが
結果として
第二次世界大戦、太平洋戦争へと
つながってしまうのです。


小さな一歩は(小さくはないですが)
可能性を生み出す
ということです。


清国は「眠れる獅子」と言われておりましたが
日本に負けてしまい、
日本への巨額の賠償金支払債務が発生しました。
そこに目をつけた海外勢
イギリス、フランス、ドイツ、
ロシア、アメリカ、オランダなどが
清国の権益を奪っていきます。
同時に清国の国内には
昔から軍閥があり、
それぞれが勢力争いをしていました。
そういった清国国内の状態に憂いていた
孫文、蒋介石らが辛亥革命を起こします。
1912年、清朝は滅び、中華民国が出来あがります。


1914年(大正3年)、ヨーロッパで第一次世界大戦勃発。
ドイツVSイギリス、フランス、ロシア。


日本はこれをチャンスと見ました。
ヨーロッパの目がアジアから離したすきに
まだ弱体の中華民国に対し強引な要求をつきつけます。


「対華21カ条の要求」といいます。


これはヨーロッパからやりすぎと
言われるのですが、
自分たちの戦争で手が回りません。


中華民国は怒ります。
反日がばねとなり
国もまとまり始め、
威張りだした
日本に反感が大きくなります。


大正の終わり、
中華民国国内では
蒋介石率いる国民党軍が
非常に強く、
共産党軍は南から北へと
逃げていました。
内戦が終結しつつありました。
ロシアではロシア革命が起こり
ソビエト政権が樹立します。
日本を取り巻く環境が
どんどんと悪化していきます。
これが大正の終わりです。


日本は第一次世界大戦には
関与しておりませんでしたが、
分け前が欲しくなって突然参加します。
同盟国イギリスから頼まれたから、
とも言われているようですが、
終戦後、日本は戦勝国側になります。
ドイツの権益であった
マーシャル諸島など南洋諸島を
委任統治地としてそっくりもらいます。


国際連盟ができ、
ワシントン海軍軍縮条約に
大正11年、調印します。
主力艦(戦艦、空母)を
アメリカ5:イギリス5:日本3の比率で
いきましょうという取り決めをします。


日本がここまで順調にきたのも
日英同盟の影響が大きいようです。
5大国となった日本の
原動力とも言われています。
アメリカは外交巧みに
四カ国条約(アメリカ、イギリス、フランス、日本)
を結ぶことにより
日本とイギリスの同盟を廃棄することに
成功するのです。
日本は同盟国がなくなります。


大正が終わり、
昭和に入るころの日本は
ロシアに勝利し
第一次世界大戦も戦勝国側に入り
一見、すごくよさそうに見えますが、
見えないところで
着実にヒビが入っていきます。
同盟国はなく、
ソ連は新しい国をつくり、
中華民国はまとまり始め、
大国となった日本を維持するには
満州をなんとかしなくてはなりません。
昭和史は満州の問題と絡んでいきます。


勢いにのって
背伸びをしすぎたのでしょう。
急激な成長に
骨格が追い付かず、
中身は成熟せず、
けれど、大きくなった体を
維持しなければなりません。


そんな状況で
昭和に入っていくのです。


続く。



【参考・出典】
昭和史1926-1945
半藤一利
平凡社



【購入先】
ネットオフ
http://www.netoff.co.jp/index.jsp



日本人は調子に乗るとダメになるらしい第2回

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岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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