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無意識即、谷川俊太郎.com、中也の話。

無意識即。


そんな言葉が
谷川さんのサイトの
中也の話、という回で
出てきました。


中原中也さんは
大正から昭和にかけて
活躍された詩人、歌人です。


無意識即とは、
宮沢賢治さんの農民芸術概論綱要で
出てくる言葉です。


農民芸術概論綱要で有名な言葉として


「世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない」


※個人解釈
(自分だけでなく、みんなが幸せでないと
本当の個人の幸せとは言えない)
※感想
(まずは身近な小さな幸せからでもいいと思う)


「永久の未完成これ完成である」


※個人解釈
(完成が無い。
より良いものにするために
常に練っていて、
完成に近づき続けること、
その行為を
完成としたらしい)
※感想
(求め続ける限り完成は無い。
何をもって完成とするかは
その人の価値観による。
その過程にこそ
人としての大切なものや
魅力がある。
前に進む、ありのままの姿こそ
美しい。
その途中の結果が作品として
ポツポツと表に出ているのだ、と
勝手に今は思っている)


がありますが、
無意識即が出てくる部分を抜粋しますと


「無意識即から
溢れるものでなければ
多く無力か詐偽である」


とあります。


考えるのではなく
感じたまま直感で言葉が溢れてくるもの。
それ以外は、
形だけの力の無いものか
いつわりだ、と言っているようです。


中也さんも谷川さんも賢治さんも
詩人ですので、
そういったものを
大事にされているのでしょう。


個人的に
農民芸術概論綱要の
農民芸術の制作にある
無意識即のあとの言葉が
好きです。



「無意識即から溢れるものでなければ
多く無力か詐偽である

髪を長くしコーヒーを呑み
空虚に待てる顔つきを見よ

なべての悩みをたきぎと燃やし
なべての心を心とせよ

風とゆききし
雲からエネルギーをとれ」



この時代、コーヒーは一般層に普及し始めたとはいえ
まだ、めずらしい飲み物だったかもしれません。
しかも、岩手ですと
都会よりも普及は遅いかもしれません。
男性は短髪が多いでしょうし
(大正後半から昭和元年)
そんな時代に
髪を長くしコーヒーを呑み
空虚を待てる顔つき。
遠くを見ながら
コーヒーを飲んでいそうな感じです。
どこか達観しているような雰囲気です。


風がある程度強く吹いていて
雲も様々なかたちをしているのだと
思います。
そんな中、風となって
形のない柔軟さと強さと
ありのままの素直さで
雲に近づくのです。


そんな風のことを書いていますと
風の又三郎を
思い出してしまいました。



無意識即のあとの文章は
無意識即から溢れたもの
だったのでしょうか。


無意識即という言葉から
いろいろと向き合うことになりました。



青空文庫
宮沢賢治 農民芸術概論綱要



谷川俊太郎.com
中也の話



谷川俊太郎.com
http://www.tanikawashuntaro.com/

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岩手県盛岡市在住。もりおかの中から感じたことを書いております。個人的なブログです。【このブログについて】

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